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日本球界8年目右腕インタビュー

ブライアン・ウルフ(西武) インタビュー 愛する家族とともに。「家族の理解があるからこそ、日本球界で長くプレーできている」

 

ムービング系のボールでバットの芯を外す。今年で日本球界8年目。日本で年々成熟させてきた投球スタイルがウルフの武器だ。それだけでなく、家族の存在も日本で長くプレーできている大きな力になっている。
取材・構成=小林光男、通訳=町田義憲(埼玉西武ライオンズ)、写真=高塩隆


 日曜日、西武の本拠地であるメットライフドームに美しいギターの旋律が高らかに流れ始める。

『Sweet Child o'Mine』

 アメリカの伝説的ロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズが1987年に発表した名曲がブライアン・ウルフの登場テーマ曲だ。ボーカルのアクセル・ローズが当時のガールフレンドに捧げた曲と言われているが、ウルフの解釈は違う。

「この曲を選んだのは娘を思ってなんだ。歌詞の中にも、父親と娘の関係を言い表しているように感じる部分もあるからね」

 例えば出だしはこうだ。

 She's got a smile that it seems to me

 Reminds me of childhood memories

 Where everything was as fresh as the bright blue sky

(彼女の笑顔は俺に幼い日の記憶をよみがえらせる
 あのころはすべてが明るい青空のように鮮やかだった)

 確かにとらえ方によっては、愛しい娘と対した父親の姿が頭に思い浮かぶだろう。かけがえのない娘への揺るぎない愛情。戦いの場に挑む際、ウルフが最もエネルギーを掻き立てられるのは娘をはじめ、家族の存在を思うことなのだ。それが自身の最大のパワーになっているのは間違いない。

日本で復帰できなければ引退を選んでいた


 2007年、ブルージェイズでメジャー・デビューを飾ったウルフ。主に中継ぎとして同年38試合に登板して3勝1敗、防御率2.98をマークしたが翌年、翌々年とケガのために登板数を徐々に減らしていった。

「2009年オフにロースターも外されて、妻(ラシェル夫人)と今後に関して話し合っているときに、『日本でプレーしてみたいね』という話が出たんだ。3Aやメジャーで同じユニフォームを着ていたチームメートの中に日本へ渡ってプレーしていた選手もいたし、もともとボク自身も興味は持っていた。そういったときに、幸運にもファイターズが興味を示してくれたんだ」

 2010年、日本ハムへの入団が決定。札幌の地で4年間過ごして確かな実績を残し、14年ソフトバンクへ。だが、同年トミー・ジョン手術を受けたこともあり、本領を発揮できないまま15年限りで解雇されてしまった。

「日本球界に復帰できなかったら引退しようと思っていた。実際、昨年のシーズン半分はどの球団にも所属することができず、家族と引退に向けていろいろ話し合いも始めていた」

 しかし、5月後半にテストを受けていた西武へ16年7月20日に入団することになった。「ライオンズの戦力になるなら何でもする」と誓ったウルフは8月28日の日本ハム戦[西武プリンス]で同年チーム外国人初白星ともなる復帰後初勝利を飾るなど4勝をマーク。熟練したピッチングでチームに欠かせない右腕となり契約延長となった。紆余曲折を経ながら、今年で日本球界8年目を過ごすが、当初はこんなに長く日本でプレーするという考えは頭にまったくなかったという。

「1、2年で日本球界から去っていく外国人は多いからね。ボクも1年目は妻があまり日本にいなくて、このままここにいてもいいのか疑問に感じ、迷っている部分もあった。それが2年目は妻もシーズンを通して日本で過ごしてくれ、『日本のことが好きだ』と言ってくれた。家族の理解が得られたこと、それが大きいよね。きっと長く日本でプレーしているメッセンジャー(阪神)、サファテ(ソフトバンク)、スタンリッジ(ロッテ)たちも同様だと思うよ。やっぱり、家族が一番大切だからね」

 ウルフの家族は心の底から日本での生活を楽しんでいるという。

「ボクもいろいろ興味があるし、妻と子どもも自分たちでいろいろ・・・

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