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球場特集2017
追憶のスタジアム われわれを魅了した熱闘と夢の舞台
1984年の西宮球場。雨上がりで虹が架かった

1984年の西宮球場。雨上がりで虹が架かった

 

それらは、われわれの美しい記憶とともにある。取り壊されたり、大きく姿を変えた懐かしの球場たちだ。多くの熱闘、感動のドラマ、時には荒々しい事件の舞台にもなった。いまの球場に比べたら狭く、ボロボロだったが、思い出の中では、いつもピカピカの輝きを放つ。あなたは、これから紹介する、どの球場にどんな思い出があるだろう。「そんな球場、名前も聞いたことがない」という若い読者の方は、ご両親や野球好きの先輩に聞いてみてほしい。きっと彼らは目を輝かせ、優しい笑顔で、当時の情景を生き生きと語ってくれるはずだ。

後楽園スタジアム 日本プロ野球の象徴


後楽園スタジアム[東京都文京区]/1937→1987年


 1987年のシーズン中から東京ドームの建設が隣で進み、2つの球場が並ぶシーンも見られた。創設時から野球だけでなく、多角的な使用をうたい、38年には新潟から大量の雪を運びこんでスキージャンプ大会が挙行され、戦時中は大相撲、戦後はプロレス、ボクシング、コンサートなどにも使われた。巨人日本ハムの本拠地として多くの名勝負の舞台となり、76年には日本で初めての人工芝採用と、常に日本球界のパイオニア球場であり続けた。

東京スタジアム 光の球場


東京スタジアム[東京都荒川区]/1962→1977年


 東京下町の庶民的な街並みに突然、現れた。1962年大毎(現ロッテ)の本拠地として登場。映画会社社長である永田雅一オーナーが私財を投じ建設した当時最先端の球場だ。モデルはSFジャイアンツの本拠地キャンドルスティック・パーク。地下にはボウリング場、冬季はスタンドがスケートリンクになった。照明が明るく“光の球場”とも言われたが、狭く、投手泣かせの球場でもあった。72年にはロッテが使用を取りやめ、閉鎖が決まった。

川崎球場 印象深きドラマの舞台に


川崎球場[神奈川県川崎市]/1952→


 姿を変えて存続はしているが、プロ野球の舞台としては使命を終えており、この中に入れた。1955年から大洋(現DeNA)の本拠地となったが、77年限りで横浜に移転。翌78年からロッテの本拠地となった。特にロッテ時代は集客に苦しみ、閑古鳥が代名詞に。80年代「テレビじゃ見れない川崎球場」というコピーが話題になったが・・・

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