公園の「キャッチボール禁止」という看板を見ると、時代は変わったな、とあらためて思う。
昭和生まれ、特に高度成長で日本経済が安定してきた30年代後半以降に生まれた少年は、新品か誰かのおさがりかは別にし、大抵、グラブ(グローブ)を持っていた。野球チームに入っていなくても、軟式ボールを使ったキャッチボールや壁当ては頻度の高い遊びの1つだった。
昭和50年代前半、少年たちに赤や青のカラーグラブが流行った時期がある。青に関しては、巨人の三塁手・高田繁さんの影響が大きい。昭和51年、外野手からサードにコンバートされ、長嶋巨人の初優勝に貢献した一人である。ミズノ製の青いグラブが、高田さんの爽やかな雰囲気に合っていた。写真のように人さし指だけを出すモデルだ。
現物を近くで見たことがある。もう20年近く前だが、グラブ作りの取材で、ミズノの「グラブ工房」に坪田信義さんを訪ねたとき・・・
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