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激動の平成ドラフト史 時代の証言者

大洋(現DeNA)OB・三浦大輔「指名後、応接室に行くと取材記者は1人だった」/時代の証言者

 

プロで成功する選手は上位指名ばかりじゃない。1991年のドラフトは1位以外にものちに活躍する選手がそろった。“ハマの番長”も6位指名から成り上がった。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM

入団会見に臨んだ三浦[須藤監督の後ろ]。この年、大洋1位は斎藤隆[右端]。


「寝てていいからな」


 27年前のドラフト前夜、奈良の県立高校のエースは眠れない夜を過ごしていた。甲子園出場もなく、お世辞にもプロ注目の投手とは言いがたい。しかし、のちに25年にわたりプロの一線で活躍することになる右腕は、人一倍のプロへの憧れを抱き、自分の名前が呼ばれるのを待った。

 プロの世界を意識したのは、高校2年の冬。当時はプロ志望届がなかったので、(プロ志望届は2004年より制度化)進路希望の面談で担当の先生に「プロ野球選手になりたいです」と伝えました。もしドラフトで指名されなければ、社会人に進む決意でした。

 ドラフト当日。テレビ中継は地上波のみで上位指名しか放送されない時代です。3年の夏以降、スカウトの方がグラウンドに来られているのは知っていましたが、不安ばかりで「指名されますように……」と祈る心境でした。

 授業中は、先生が・・・

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