ここでは平成の野球の歴史を鮮やかに彩った日本人メジャーたちを紹介する。 文=笹田幸嗣 写真=BBM 「僕、来年はメジャーでやってみたいと思っているんです」
1994年(平成6年)夏。当時近鉄バファローズに在籍していた
野茂英雄は右肩の不調に苦しみながらも懸命にリハビリを続けていた。前年までは新人時代から4年連続最多勝と奪三振王の日本プロ野球史上初の快挙を成し遂げていた。当時、年齢もまだ25歳。日本のプロ野球選手がメジャーに挑むことなど、まだ想像さえもできなかった時代に、日本球界のエースに君臨する男が口にした冒頭の言葉。鳩が豆鉄砲を食らったように驚く筆者の横で野茂はニコニコと笑っていた。
思い当たる節はいくつかあった。本拠地・藤井寺球場にあった野茂のロッカールームにはケン・グリフィーjr.やロジャー・クレメンスなど、当時のメジャーのスーパースターたちの野球カードが所狭しと貼られていた。それは右翼後方のブルペン裏側にあるトレーニングルームも同様だった。
「メジャー・リーガーと力と力の勝負がしてみたいんです」
目を輝かせながら語る野茂はさまざまな外圧にも負けず、ひとり道なき道を切り開いていった。そして、95年1月。任意引退で海を渡った。
だが、逆風は米国でも・・・
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