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背番号物語2019

永久欠番の光と影 悲劇から始まった歴史

 

栄光の象徴とも言えるものだが、期せずして日米球界の永久欠番の歴史は、深い悲しみの中でスタートを切った。


 1939年7月4日、それは晴れやかで悲しい1日となった。

 ニューヨークのヤンキー・スタジアムで“ゲーリッグ・デー”が開催され、すでに引退を表明していたルー・ゲーリッグが、「私は、この地上でもっとも幸せな男です」とあいさつ。大粒の涙を流した。ヤンキースはゲーリッグの背番号「4」を今後は誰も使用しないようにすると発表。これが球界の永久欠番第1号となる。35年限りで現役を引退していたベーブ・ルースは、ゲーリッグと不仲も伝えられていたが、球場に姿を現し、笑顔と真っ赤な目でゲーリッグを強く抱きしめた。

 ゲーリッグは25年6月1日から39年4月30日まで足かけ15年、当時の世界記録2130試合連続出場を果たした。ルースと並ぶヤンキース、いやメジャーきっての人気選手で、34年には日米野球で来日したこともある。しかし・・・

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