甲子園のひのき舞台は、「怪物」を生むための最高の“舞台装置”、あるいは“製造工房”と言っていいだろう。
地方の球界の未知なる逸材たちの「150キロ右腕」「通算本塁打〇本」など、断片的な情報から期待がふくらみ、その姿が想像の中で大きくなる。いまより情報が少なかった昭和の時代であるが、最たるものが3年春のセンバツで初めて甲子園のマウンドに立った作新学院高の
江川卓(のち
巨人)だ。しかも江川の場合、ふくらんだ想像(妄想)を遥かに超える快速球を投げ込み、高校球児で初めて「怪物」の異名が定着した。
さらに言えば、時に、甲子園の大舞台は選手たちの“ストッパー”を完全破壊し、100%どころか200%の力を引き出し、残念ながら、それがその選手のピークになってしまうこともある。
平成最初の怪物は、星稜高の“ゴジラ”松井秀喜で異論あるまい。圧巻のスイングスピードもそうだが・・・
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