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平成最多勝利投手インタビュー

平成最多勝・山本昌インタビュー 太く、長く、214勝 「平成は僕にツキのある時代でした」

 

平成唯一の200勝投手である。ドラゴンズ一筋32年。戦力外寸前まで追い込まれたこともあったが、昭和最後のシーズンのアメリカ留学がターニングポイントとなる。翌平成元年に先発ローテーションに定着してから積み上げた勝利は214。時代を象徴する竜のエースである。
取材・構成=坂本匠、写真=BBM

2006年9月16日の阪神戦[ナゴヤドーム]でノーヒットノーランを達成。41歳1カ月での達成は現在においてもプロ野球最年長記録


アイクさんとスクリュー


 中日入団は1984年(昭和59年)。日大藤沢高を出た長身・細身の左腕は、「3〜4年が勝負」とプロの扉を叩いたが、4年間で一軍登板は4試合のみにとどまる。5年目は球団同士が提携関係にあるドジャース傘下の1Aベロビーチへ。アメリカ留学は当時、事実上の戦力外通告であったが、昭和最後のシーズンをマイナー・リーグでスタートさせると、みるみる力をつけ、これを評価した星野仙一監督(当時)がシーズン途中に名古屋へ呼び戻し、帰国。V争いを演じるチームの中、後半戦だけで5勝を挙げる活躍を見せ、翌平成元年のシーズンからの飛躍のきっかけとした。

 32年間のプロ野球人生で、通算では219勝ですが、平成では214勝っているんですね。プレーしているころは次の1勝、次の1勝と積み上げていくほうに集中していますから、こうやって振り返ってみると長くやったな、たくさん勝ったんだなと思います。自分では負けているイメージが強くて(※通算165敗、平成も同数)、こんなにも貯金があったかと。200勝ったという実感もいまだにないのですが、平成というのはほとんどの期間(※キャリア32年のうち27年)で野球がやれたということで、私にとっては非常に良い時代だったと思います。

 入団は1984年、昭和で言うと59年。高校から出て、入団前は「3〜4年が勝負」なんて考えていましたが、そんな甘い世界ではなく、すぐにこの世界のレベルの高さに愕然(がくぜん)としました。現実を知り、一軍で活躍するのではなく、一軍に上がることが夢というレベルの選手。4年で一軍登板4試合(すべて中継ぎ)ですから、クビもちらつき始めていたわけですが、ターニングポイントになったのは88年、昭和最後のシーズンのアメリカへの野球留学です。その前、87年の秋の浜松キャンプがめちゃくちゃ厳しくて、今までにないくらい練習をして、ベースが鍛え上げられたこともキッカケの一つでした。そうして翌年も契約をしてもらい、留学を迎えます。言葉は悪いですけど、当時は日本でいらない選手に、ドジャースと付き合いがあるから行ってこい的な感じ。せっかく5年目の契約をしてもらえたのに、留学を言い渡されたときはショックでした。自分がどういう立場なのか理解していましたし、周りも留学に行って終わりだろうと思っていたはずです。正直、やる気を失いました。日本にいてもクビの可能性があるのに、何をアピールすればいいんだ?と。ただ・・・

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