記憶に残る助っ人プレーヤーだ。在籍期間はわずか1年、飛び抜けた成績を残したわけでもない。それでもファンの脳裏にはグラウンドを縦横無尽に走り回る姿が刻まれている。奇抜なパフォーマンス、ハッスルプレーでメジャーでは「最強のクレージー」と呼ばれた男が、ゲストOBとして来日した際にインタビューに応じてくれた。 取材・構成=滝川和臣 写真=桜井ひとし(インタビュー)、BBM 6月の交流戦で横浜スタジアムを訪れたモーガン。
日本で打棒開花!?
――来日はいつ以来? 雰囲気はどう?
モーガン 2015年に韓国のハンファ・イーグルスでプレーしたシーズンに、スプリング・キャンプで四国の松山を訪れて以来だな。日本は変わらないね。ダイスキニッポン、ダイスキヨコハマ!
――横浜スタジアムの印象は?
モーガン ライトの新しいアッパーデッキ(ウィング席)がすごくイカしてるよ。プレーする機会があったら、あそこにボールをぶち込んでみたいよ。
――キャリアを振り返ると、野球の前にアイスホッケーの選手を目指してたんだって?
モーガン 地元のサンノゼ・シャークスが大好きでホッケーをやっていたんだよ。NHLの下部リーグからドラフトにかかるほどだったんだけど、NHLはノーチャンスだったな。ホッケーを続けてもどこまでいけるか分からなかったし、より自信のある野球のほうに専念することにしたんだ。もちろん野球も大好きだったよ。子どものころから春から夏は野球、秋から冬はホッケーというように両方をプレーしていたからね。
――アメリカの子どもはいろんなスポーツを経験すると聞くけど。
モーガン 夏のスポーツ、冬のスポーツと掛け持ちする子どもが多い。まあ、俺の場合はとにかくエネルギーがありあまっててさ(笑)。見かねた両親が両方のスポーツをやらせて発散させようとしたってわけ。
――13年に来日。日本行きを決断した理由は?
モーガン 違う世界を見てみたいというのが正直あった。日本から声をかけてもらい、いい機会だと思って決断をしたんだ。
――日本の野球の印象は?
モーガン アメリカでは日本の野球はあまり認識されていないんだけど、実際に日本でプレーすると、なぜWBCやオリンピックで日本が強いのか、理由が理解できるよ。みんな試合に対して真剣だし、一つひとつのプレーをとても大事にする。そういう日本の野球は自分のスタイルにも合っていたし、大好きだったよ。メジャーでは、ときに相手をケガさせようとするプレーもある。日本は選手同士がリスペクトの気持ちを持ってプレーをしていて、すごく健全な姿だと思ったよ。
――開幕直後はファームも経験した。
モーガン ファームに落ちたときに、山下カントク(
山下大輔、二軍監督)に「何も間違っていない。日本の投手と・・・
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