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2019外国人特集

野村克也×ジョシュ・スタンカ 南海レジェンド助っ人の孫とノムさんが“邂逅”!「日本人的気質のある闘志あふれる右腕だった」

 

野村克也氏とバッテリーを組み、1964年の南海日本一に大きく貢献したジョー・スタンカ。日本で通算100勝も達成した球史に残る右腕だ。昨年11月に87歳で亡くなったが今回、孫のジョシュ氏が来日。野村氏と念願の対面を果たし、大好きな祖父に関して大いに語り合った。
取材・構成=小林光男 写真=小山真司(インタビュー)、BBM


日本シリーズで連投を志願


ジョシュ ノムラサン、初めまして。ジョー・スタンカの孫、ジョシュと申します。お会いできて、光栄です。

野村 こちらこそ、うれしいよ。ジョーの面影があるね。

ジョシュ 私も祖父と同じく、サントリーを飲むのが好きです(笑)。

野村 ジョーは去年、亡くなったんだろ。残念だったね。おいくつで亡くなったの?

ジョシュ 87歳ですね。グッドエイジ。しっかり生涯を全うしたと思います。寝室にはノムラサンから贈られた絵を飾っていました。それを見るたびにノムラサンを思い出していたそうです。

野村 それは、うれしいね。よく一緒に食事にも行ったし、普段から仲も良かったから。

ジョシュ それで祖父の遺品を整理していたら、こんなものが出てきたんです。これはぜひ、ノムラサンの手元にあるほうがいいと思い、持ってきました。

野村 このボールは……。

ジョシュ 1964年、日本シリーズのウィニングボールですよ! 最後に祖父が投げ、ノムラサンが捕って南海が日本一になったときのボールです。

野村 阪神と日本シリーズをやったときか。このときのジョーはすごかったな。まず、シーズンで26勝を挙げて。それで、日本シリーズでは初戦(甲子園)、第3戦(大阪)、第6戦(甲子園)に先発。初戦は完封勝利を挙げ、第3戦では2回1/3を自責点4で負け投手になったけど、第6戦で再び完封勝利で3勝3敗のタイとなった。最終戦(甲子園)、誰に先発をさせるか。鶴岡(鶴岡一人)監督の頭にスタンカの顔がよぎったはずだけど、シーズン中から日本人のように連投をさせたことがほとんどなかった。そこへ、ジョーが自ら「先発する」と手を挙げたんだ。外国人投手が連投を志願することなんて、まずない。日本人的気質を持った投手でもあったね。

ジョシュ そのときのことは、祖父から聞いたことがあります。普通ならしっかり休まないといけないけど、感情が・・・

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