7月30日、巨人の原辰徳監督が、東京ドームで行われた広島戦に8対5で勝利し、プロ野球史上13人目の監督通算1000勝を達成した。指導者としては通算13年目で、1000勝751敗57分け。巨人では1066勝の川上哲治、1034勝の長嶋茂雄(終身名誉監督)に次いで3人目の記録だった。指揮官が見せる勝利への執念と、その意味を回顧する。 ※記録は1000勝達成時点 文=鷲田康(スポーツジャーナリスト) 写真=高塩隆 指導者としてのページ数
157勝と843勝。
監督・原辰徳が築き上げた1000勝は、ある時を境に全く異なる意味を持つようになった。
その境とは2006年に2度目の監督に就任する以前と以後である。原が最初の巨人監督に就任したのは2001年オフ、前監督・長嶋茂雄の後を受けて3年間のヘッドコーチ経験を経ての昇格だった。1年目の02年シーズンは順風満帆。チームの中心に
松井秀喜がいて、その周りを
清原和博や
高橋由伸に
阿部慎之助らが固める強力打線だった。投手陣もエースの
上原浩治に
高橋尚成、ベテランの
桑田真澄や
工藤公康が2ケタ前後の勝ち星を挙げてバランスがとれた布陣で、懸案だった抑えには
河原純一を抜擢して、それが機能した。6月に首位に立つと、そのままぶっちぎりでリーグ優勝。日本シリーズも
西武を4タテして日本一に輝いている。
ところが、だ。
翌年には一気に荒波に揉まれる。前年オフに松井が
ヤンキースに移籍し、投手陣も機能しなかった。ベテランに力の衰えが見え始め、リリーフ陣が崩壊。開幕から
阪神の独走を許し、シーズン終盤には選手起用を巡って三山秀明球団代表と確執が生まれた。そうして3位で終わったシーズン終了を待って監督を辞することになる。
「いま振り返ると、あの時はまだ巨人の監督としてページ数が足りなかったということだと思う」
原は独特の言葉でこう述懐する。
「長嶋監督からバトンを受けて、僕自身もずっとヘッドコーチとして野球にどっぷりと浸かった状態の中で監督になった。自分の中ですべてが野球、野球しかない環境からチームの指揮を任されたわけです。でも巨人の監督というのは、野球だけで・・・
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