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恐るべき10代 近未来の主役たち

村上宗隆の原風景 心身を鍛えた高校3年間「練習だけはできる子。意外とへこたれないんです」

 

1年夏を最後に、甲子園とは縁がなく、悔しさをかみ締めた。自然災害を経験し、命の尊さも実感。燕の未来を明るく照らすスラッガーの原点は、故郷・熊本での鍛錬の日々にあった。
文=岡本朋祐 写真=BBM


 高校3年間を指導した九州学院高・坂井宏安監督は2017年10月の段階で、村上宗隆のプロでの活躍を予言していた。ドラフト2週間前の取材時に、こう話した。

「村上には、練習量をこなせるだけの体力がある。大学を経てからという選択肢もありましたが、村上の場合はチャンスがあるときに挑戦すべきと、後押ししました」

 四番で出場した1年夏の熊本大会1回戦の第1打席で、満塁本塁打。同夏の甲子園に出場すると、同級生で左打者、同ポジション(一塁手)の早実・清宮幸太郎(現日本ハム)と比較された。まだ、15歳。急激な周囲の変化に戸惑い、遊学館高(石川)との初戦(2回戦)では4打数無安打と、見せ場を作れなかった。一方、清宮は2本塁打を放つなど4強進出と明暗は分かれた。毎年、九州学院高と早実は夏の県大会前に練習試合を行い当時、村上は「打者のライバルは清宮」と公言していた。

 1年秋から捕手に転向し、二塁送球1.9秒台の強肩で、攻守でチームをけん引した。2年時には熊本地震を経験。熊本市内の自宅に大きな被害はなかったが「生きているから野球ができる」と、命の尊さをあらためて知った。同秋から主将を務めるも、3年夏は熊本大会決勝で、4季連続で甲子園に出場する秀岳館高に敗退している。

 高校通算52本塁打。しかし、高校日本代表の選考から漏れている。

「お前は『清宮世代』には入っていないよ、と・・・

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