週刊ベースボールONLINE

恐るべき10代

HISTORY 時代を切り開いた若者たち「衝撃の10代」の系譜

 

球史をさかのぼり、10代選手の輝きを追う。規格外の男たちが初々しき姿で躍動し、時代を切り開いていった。

沢村栄治[巨人]1917年2月1日生まれ。伝説の大投手。34年、17歳でメジャー選抜相手に1失点完投(写真は35年アメリカ遠征時)


17歳でメジャーを圧倒した伝説の男


 プロの世界は高校卒なら18歳でのプロ入りになり、1年目の誕生日で19歳、2年目で20歳となるが、過去は中退選手も珍しくなかったので、16歳、17歳という例もある。

 さかのぼれば、日本プロ野球は、10代選手によって歴史が始まったと言っていいかもしれない。

 1934年、メジャー選抜を招いた日米野球が行われた。プロ野球の原点ともいえる全日本軍には、京都商を中退した17歳の沢村栄治がいた。ほとんど大敗の中で、沢村は11月20日、草薙での試合で先発し、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)に一発を許したが、その1失点のみで完投(0対1)。敗れはしたが、この1試合は日本の野球人、野球ファンに大きな夢と勇気を与えてくれた。

 沢村は36年公式戦スタート時もまだ19歳で、秋には巨人のエースとして最多勝にも輝いている。その後、2度の兵役もあって肩、ヒジがボロボロになり、43年限りで解雇となったが、そもそも最盛期は第1次アメリカ遠征までで、公式戦スタート時には、すでにキレは鈍っていたとも言われる。それはそうかもしれない。35年はアメリカ遠征で21勝8敗、国内で22勝1敗。明らかに投げ過ぎだった。全日本軍には18歳のスタルヒンも参加していたが、彼が頭角を現すのは20歳以降だった。

 38年、『花の(昭和)13年組』と言われ、中等学校の花形選手、千葉茂吉原正喜らが巨人入団。このとき投手として入った、のちの“打撃の神様”川上哲治は野手に転向し、39年、19歳で首位打者になっている。

 42年、滝川中を中退して巨人に入団した青田昇もすごい。すでに1シーズン制となっていたが、当時、春、夏、秋での別々の表彰もあり、青田は秋季大会に.389で首位打者。トータルでは42試合ながら.355だ。この年の首位打者が呉波(のち呉昌征。巨人)の.286だから、いかに特出していたか分かる。ただし、この男、未成年ながら、いつもくわえタバコで、酒もマージャンも、さらに言えばケンカも強い無頼派。43年には19歳にして打点王にもなったが、戦局の悪化もあって「どうせ死ぬんだ。だったら一番危ないところに行きたい」と志願して航空隊へ入った。

 2リーグ制初年度、享栄商で3年夏の甲子園を逃した後、中退し、国鉄入りしたのが、左腕の金田正一だ。17歳の50年は夏入団ながら8勝。地方球場の一戦だったが、あまりの球の速さに阪神金田正泰が「マウンドが近いのでは」とクレームをつけ・・・

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