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2019ドラフト特集

それは「無風地帯」から始まった。東北の怪腕とドラフト

 

菊池雄星大谷翔平、そして今年は大船渡高の佐々木朗希。いまや世界レベルの好投手が輩出するようになった東北の地だが、かつてはドラフト「無風地帯」でもあった。

花巻東高から日本ハムに進んだ大谷翔平。今はメジャーで二刀流に挑む


先駆けは「コーちゃん」


「無風地帯」というと語弊があるが、1965年秋に始まったドラフト会議において、主役が東北の、ましてや高校生になることはまずなかった。

 北海道、甲信越地方なども同じことが言えるが、長い冬が影響する。暖冬の昨今はまた違っているかもしれないが、雪深き地になると、12月から4月初めまでグラウンドでの練習ができなかったりする。こうなると、いくら資質が高くても開花は遅れがちだ。高校生年代からプロのスカウトをざわめかすような選手は、なかなか出てくることができない。1968年秋、東北出身では史上最多通算284勝を挙げた山田久志が阪急に1位指名されたが、能代高(秋田)から富士鉄釜石を経てだった。

 例外的存在が、69年秋の三沢高・太田幸司だ。69年の夏の甲子園、松山商高との決勝で延長18回引き分け再試合となり、敗れたときのエース。白系ロシアの血を引く甘いマスクで「コーちゃんブーム」を巻き起こした。近鉄入りとなったが、11球団が指名あいさつに来たなかで、一番熱心だったのは阪神だったという。太田自身も希望球団だったが、2番くじで太田を指名するチャンスがありながら東海大の上田二朗を選んだ。新監督となった村山実が即戦力投手を希望したからと言われた。甲子園のアイドル投手では78年、福島商高で“福島の玉三郎”と言われた三浦広之が阪急に2位、86年、秋田経法大付高で“秋田の玉三郎”と言われた松本豊が大洋にドラフト外で入った。

 甲子園組では秋田商高の高山郁夫が149キロの快速球で沸かせ、80年秋、日本ハムに1位指名されたが、拒否し、プリンスホテルを経て85年ドラフト3位で西武に入団した。

 85年春夏連続甲子園ベスト8となった東北高(宮城)のエース・佐々木主浩は、東北福祉大を経て90年大洋(のち横浜、現DeNA)にドラフト1位入団。このとき高校、大学の2年下が斎藤隆だった。佐々木の1年後の91年に同じく大洋に1位で入団。先発を経て佐々木のメジャー移籍後にクローザーとなり、同じく海を渡った。斎藤の大学同期では金本知憲矢野輝弘らが・・・

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