ライオンズの背番号「7」は西鉄では豊田泰光、西武では石毛宏典、松井稼頭央、片岡易之(現・治大)ら錚々たる選手が着けてきた。その栄光のナンバーを今季から着けるのが昨季の盗塁王・金子侑司だ。受け継がれる遺伝子──。春季キャンプ直前、松井二軍監督と金子が「7」の魂を語り合った。 取材・構成=小林光男 写真=幡原裕治 以前から着けたいと思っていた
1994年、PL学園高からドラフト3位で西武に入団した松井稼頭央二軍監督が最初に着けた背番号は「32」だった。3年目の96年、130試合にフル出場し、50盗塁をマークすると97年から「7」に変更。その後、2002年にはトリプルスリーを達成するなど球史に残るスイッチヒッターとなり、04年からメジャー・リーグへ。メッツでは「25」、ロッキーズでは「16」と足して「7」になる数字を背負った。現在も背にあるのは「77」だ。 金子侑司は13年、立命大からドラフト3位で西武入団時は「2」だったが、18年に「8」へ。そして今季から念願だった「7」を着けることになった。 ──金子選手の背番号「7」でのユニフォーム姿を初めて目にしていかがですか。
松井 いや、似合っているよね。
金子 ホントですか!
松井 でも、「あれ?」と思うところもある。西武で現役時代、自分が「7」を着けていて、見たことがなかったから。西武の「7」が自分の目に映るのは変な感じ。でも、あらためて見ると「『7』っていいよね」と思う(笑)。形がシュッとしているし、ネコ(金子)にすごく似合っている。
金子 (笑)。良かったです。稼頭央さんのその言葉を待っていましたし、いまの言葉で安心しました。もう、ほかの人に何を言われても別に気にしないです(笑)。もちろん、これまで背負った「2」「8」もいい番号でしたけど、「7」は、「カッコいいユニフォームを着ているな、俺」って感じです(笑)。
松井 僕はいま「77」を背負っているけど、やっぱり「7」とは違う。まだ慣れていないところもあるんだ。ユニフォームを着ているときは気にしないけど、サインをするときとか。「7」を1個余分に書くわけだけど、現在のサインは「7」が合うバランスだから。「77」にすると少しおかしい。だから、「サインを変えないといけないのかな」と思ったりする。
金子 僕もサインを書く際、早く慣れないといけません(笑)。
──「7」に変更した経緯は?
金子 以前から自分がしっかり成績を残して、チームから、球団から認めてもらえたら「7」を着けたいなとずっと思っていました。そういったなかで昨季が終わった後に球団から「『7』を着けたいか?」と聞かれたので、「はい!」と即答しました。
──松井二軍監督に「『7』を着けたい」と話したことは?
金子 稼頭央さんには恥ずかしくて直接、言えなかったです(照)。でも、稼頭央さんが
楽天に所属している16年から自主トレでお世話になってきましたから。楽天のときも途中から「7」でしたが、僕はやっぱりライオンズの「7」のイメージが一番強くて。小さいころから、ずっとその背中にあこがれてきました。だから、「7」に決まりそうになったときは一番に電話で報告させてもらいましたね。
松井 電話をもらえたことはうれしかった。僕も石毛(石毛宏典)さんの姿を見て「7」を受け継ぎたくなったから。そういえば・・・
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