いよいよ集大成のときを迎える。2017年7月31日の侍ジャパントップチーム監督就任は、今夏開幕の東京2020オリンピックで頂点に立つため。過去7度のオリンピックでの金メダル獲得は、公開競技だった84年のロサンゼルス大会でのたった1度のみ。プロの参加が認められた00年のシドニー大会以降は、04年アテネ大会の銅メダルが最高位と、東京大会での“金”は日本球界の悲願である。 取材・構成=坂本匠 写真=小山真司、GettyImages、BBM 逆転勝ちに結束
強化は順調に進んでいる。17年の稲葉篤紀監督就任から、春、秋の活動で指揮官の求める野球を追求し、チーム力の底上げを図ってきた侍ジャパンは、昨秋のプレミア12を制覇。世界大会で優勝するのは、2009年のWBC以来約10年ぶりのことだった。 ──東京オリンピックに向けて最後の活動(※今季は五輪本番前に約1週間の合宿が予定されている)であった、昨秋のプレミア12で優勝を飾りました。2017年の監督就任からここまでの過程を振り返り、どのような考えを持っていますか。
稲葉 私が監督になって、いろいろな選手に侍ジャパンのユニフォームを着てもらい、さまざまな大会、強化試合などを通して日本を背負うこと、その先にあるオリンピックを意識してもらうことができました。その点では非常に意味のある2年半だったと思いますし、私自身もいろいろな選手を直接見ることができ、代表チームにとっても意義のある時間だったと思います。この間、ジャパンに来てもらった選手たちの成長していく姿も見てきましたし、試合に臨む姿勢の変化も感じることができてうれしいですね。
──確かにトップチームでは最初の活動になった、17年のアジアプロ野球チャンピオンシップで一部年齢制限(24歳以下)のある中で招集された選手から、その後、侍ジャパンの常連となった選手も多くいます。昨秋のプレミア12では当時の招集選手(OA枠など含む)のうち7人が世界一メンバーに名を連ねました。
稲葉 今永昇太(
DeNA)、
田口麗斗(
巨人)、
近藤健介(
日本ハム)、
源田壮亮などが24歳以下(※93年1月1日以降生まれ)のメンバーでしたね。監督就任直後から20年のオリンピックに向けて、という形で活動してきた中で、このようなつながりはとても大事だと思います。
──2年半の限られた活動機会の中で、“プレ五輪”の位置付けでもあったプレミア12で世界一を獲った意味は大きいのではないでしょうか。
稲葉 これは私というよりも、選手たちが「世界一になりたい」という思いを強く持ってくれた結果だと思います。もちろん、いつでもこのような大会では選手は「勝ちたい」と思ってやってくれているのですが、プレミア12前には合宿期間も長めにとり、よりチームを結束させたいというこちらの考えがあった中で、選手がその意図をしっかりと汲んでくれました。合宿、大会を通して自分の調子を上げるというのも当然ですが、ジャパンの一員として、自分が何をすべきか、どう貢献すべきか、ということを考えて毎日を過ごしてくれた。その結果、これ以上ないほどチームが1つになって大会を戦い、世界一にたどり着きました。今大会では8試合中4試合で先制点を取られ、3試合で逆転勝ち。しかも終盤に粘っての逆転です。相手の情報が少ない国際大会で、試合をひっくり返すのは、チームが1つになっていないとあり得ないことで、そのようなチームになったことを誇りに思います。
──大会を通じて稲葉監督が大切にしていたこと、そして、選手に伝えていたことはどんなことでしょうか。
稲葉 そのときの雰囲気であったり、状況にあった内容を話そうと思っているんですが、この大会では試合に出ていない選手とのコミュニケーションをすごく大事にしていました。特に・・・
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