週刊ベースボールONLINE

さらば、わが友……

元南海・広瀬叔功「ノムやんとは楽しいことも、腹が立つこともいくらでもあった」

 

南海入団は野村克也氏の1年後。若手時代、2人は杉浦忠氏(故人)と3人で毎晩にように遊び歩き、鶴岡一人監督に「南海の3悪人」と呼ばれたこともあったという。その後、さまざまなことがあり、疎遠にはなってしまったが、青春時代の思い出まで色あせたわけではない。

前列右端が野村氏。後列右から2人目が広瀬氏。南海黄金時代の主力打者たちがずらりと並ぶ


すべてはいい思い出


 寂しいよなあ。スギやん(故・杉浦忠投手。南海黄金時代のエース)が亡くなったのは、もう19年前か。今度はノムやんも旅立ってしまった。昔のホークスの仲間がどんどんいなくなっていく。

 スギやんもノムやんも、ワシより1つ年上。しかし一軍で試合に出してもらえるようになってからは毎晩のように3人で一緒に飲み歩いたから、そんなふうに呼ばせてもらってきた。鶴岡(鶴岡一人)親分には「南海の3悪人」と言われたもんやった。

 南海に入団したのは1955年。合宿所に入った。ノムやんは1年先に入っていて、300人が受けたテストをくぐり抜けてきたそうや。われわれ若手は中モズ(南海の二軍練習場)でシボられてクタクタになって合宿所へ帰っても、まだ仕事があった。1年目のワシは便所掃除、2年目のノムやんは風呂掃除や。自分で言うのも何やけど、ワシは要領が良かったからバアーッと水を撒(ま)いてアッという間に便所掃除を済ましてしまう。ノムやんは丁寧に風呂を磨くけど、必ず先輩に難癖をつけられて毎日叱り飛ばされた。ある日、とうとう・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング