週刊ベースボールONLINE

追悼誰よりも野球を愛した男。

野村克也、栄光の記録

 

追悼特集の最後に野村克也氏の選手、監督時代の成績を掲載する。巨人王貞治という選手がいたことで、一時は歴代1位となるも、その後2位となっている記録も多く、野村氏のボヤキの種にもなった。

3000試合出場達成時。右は息子・克則氏




■主なタイトル、表彰
首位打者1回(1965年)、最多安打(1965年)、本塁打王9回(1957年、1961〜68年)、打点王7回(1962〜67年、1972年)、三冠王1回(1965年)、MVP5回(1961年、63年、65〜66年、73年)、ベストナイン19回(1956〜 68年、70〜73年、75、76年)、ゴールデン・グラブ賞1回(1973年)、正力賞(1993年)、野球殿堂入り(1989年)

■主な歴代1、2位の記録(表中赤字以外)
通算試合数2位、通算本塁打2位、通算安打2位、通算打点2位、通算塁打2位、通算サヨナラ本塁打11本(2位)、通算サヨナラ安打19本(2位)、21年連続2ケタ本塁打(1957〜77年。1位)、17年連続20本塁打以上(1957〜73年。2位)、30本塁打以上10回(1957、62〜68年、70、72年。2位)、20本塁打以上18回(1957〜73、75年。2位)、100打点以上7回(1962 〜65、67、70、72年。2位)、オールスター出場21回(1位)、オールスター通算安打48本(1位)

PROFILE
のむら・かつや(捕手)●1935年6月29日生まれ。京都府出身。右投右打。身長175cm、体重85kg。峰山高から54年途中にテスト生として南海入団。56年春のキャンプで頭角を現して正捕手に定着、翌57年には初タイトルとなる本塁打王に。以降数々の打撃タイトルを獲得し、65年には戦後初の三冠王に輝いている。70年からは兼任監督に。77年限りで退任となると、一選手としてロッテ西武へと移籍し、80年限りで現役引退。その後はプロでヤクルト阪神楽天、アマチュアでシダックスの監督を務めた。
特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング