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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

短期連載ダンプ辻コラム 第1回「ブルペン捕手はつらいよ」

 

創立85周年を迎えた阪神特集の最後は、一人の元捕手の独白で締めたい。1960年代の黄金期を陰から支えた男・辻恭彦だ。プロ生活は23年と長いが、一軍の打撃成績を見るとパッとしない。ただ、この男の真価はそこにない。なお、この企画は全4回の連載でお届けする予定だ。


吉田義男とのキャッチボール


 阪神在籍は12年半。規定打席到達は、そのうち1年だけだ。ただ、その間、試合だけではなく、ブルペンで投手の球を捕りまくった。もしかしたら、もっともたくさん阪神の投手の球を受けたキャッチャーと言ってもいいのかもしれない。

 歴代の大投手たちが高い信頼を寄せ、「ダンプ」と呼ばれたタフガイが、虎のスーパースターたちの思い出を語る。

 僕が受けたピッチャーの話ですか? 確かに僕自身の話より、そっちのほうが面白いかもしれないですね。その後の大洋時代もそうだけど、ずっと誰かのためにやってきた野球人生でしたから。

 誰からいきましょうか。江夏(江夏豊)は、もう少し後でいいかな……。

 そうだ。リクエストとは違うかもしれませんが、野手からいきましょう。僕が阪神に入って、一番最初に話した選手、吉田義男さんです。若い人には監督のイメージが強いかもしれませんが、“牛若丸”と言われた、とんでもなく守備がうまいショートです。

 少し僕自身の話もしておいたほうが分かりやすいかな。

 愛知県出身で、享栄商高からノンプロの西濃運輸に進み、昭和37年(1962年)の都市対抗が終わってから阪神と契約しました。

 最初は、阪神が名古屋にロードで来ていたとき、宿舎の御園旅館に連れていかれました。そこでは、あいさつするだけのつもりだったんですが、「じゃあ、ついてこい」とユニフォームに着替えさせられ、そのまま中日球場(ナゴヤ球場)に行き、いきなり練習に参加しました。

 確か8月2日かな。ナイター前でしたが、ひどく蒸し暑い日だったことを覚えています。当時、ビジターの練習は40分しかなかったんで、外野を2回くらいランニングで往復したら、すぐキャッチボールです。誰も知らないし、どうしようかと思っていたら、小さい人が「辻君って言うんだってな」と声をかけてくれ、「じゃあ、キャッチボールをしよう」と言ってくれたんです。

 それが・・・

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