昨秋のドラフト会議では3球団競合の末、“相思相愛”だった地元球団・
中日が交渉権を獲得した。春季キャンプ中には左肩腱板炎により別メニュー調整もあったが、大事には至らず。3月24日、
オリックスとの二軍練習試合(ナゴヤ)に「四番・三塁」で先発出場すると、1回二死一塁から相手の先発左腕・
富山凌雅からバックスクリーン右へ飛び込む“プロ初本塁打”を放った。
新型コロナ禍で活動範囲が狭まる中、向上心はむしろ高まっている。球場での練習休止期間には「(選手寮の)同じ階に空いている部屋があるので、そこで素振りをしていました」。4月9日に練習を再開すると、さっそく室内練習場で快音を響かせた。「今後も一生懸命やっていきたい」と、どこまでも前向きだった。
ナゴヤドーム移転後、中日の日本人選手が30本塁打以上を放ったのは、2006年の
福留孝介(31本、現
阪神)、10年の
和田一浩(37本)とたった2人。「10年後に三冠王になりたい」と語る久びさに現れた竜のスラッガー候補が、その壁を打破する可能性を秘めている。ナゴヤドームで「四番・サード、
石川昂弥」と
コールされる日は遠くないはずだ。