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12球団エース列伝

広島・近年のエースの胸にも宿る畏敬の念と責任感/12球団エース列伝

 

ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。
※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む

黒田博樹

在籍1997-2007、2015-16/NPB通算124勝105敗1S、防御率3.55


暗黒時代は孤軍奮闘型?


 下の表は、単年成績ばかりにとらわれず、「その年に投手陣の精神的支柱となった選手は誰か」を鑑みつつ作ってみたものだ。長い暗黒期から最初の黄金期、また長い暗黒期を経て再びの黄金期、という歴史を経てきたカープだが、そのエースにも、さまざまなフェーズがあるところは興味深い。

 Bクラスが続いた暗黒期は、長谷川良平、黒田博樹、前田健太ら、特定のエースが孤軍奮闘した時代が比較的多いようだ。

長谷川良平

在籍1950-63/通算197勝208敗、防御率2.65


 一方、初優勝以降の第1次黄金期を見ると、初優勝時のエースの外木場義郎が肩を痛めたこともあってしばらく単年エースのような形が続き、リリーフの切り札の江夏豊を得て、特定の先発のエースはいなかったが粒はそろっていた投手陣が機能するようになった、というのが分かる。そしてその後は、「投手王国」といわれ、山根和夫大野豊川口和久と力のある先発投手がそろっていたが、「エース」と呼ばれるのは北別府学という時代が続いた。

 また、1990年代の半ばから後半も面白い。このあたりの時代は「ビッグレッドマシン」と言われた打線の破壊力が抜群で、チームの成績は割合いいのだが、投手陣は軸が定まらず、エースを求めて右往左往していた。

エースへの遠き道


 そして、「カープのエース」という地位は、近年のエースには、“そう簡単には名乗れないもの”というふうに意識されている。

 例えば前田健太は、2010年に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振とともに沢村賞を獲得しており、他球団だったらその時点で押しも押されぬエースだろうが、自分でエースになれたかなと思ったのは、そこから2年後ぐらいだったという。「自分がこのチームの一番手、という意識は、割合早くからありましたが、胸を張って自分の口から“エースだ”って言えるかといったらそれはまだかな、と思っていました」と語っている。

前田健太

在籍2007-15/NPB通算97勝67敗0S、防御率2.39


 また現在、周囲からエースと言われている大瀬良大地も、「開幕戦や短期決戦などは、数字から自分が最初に投げる存在、とは思いますが、“エース”というのは周囲から認められて初めてのものなので……」と、同様のスタンスだ。

 カープの場合、「エース」というものが畏敬の念を大きく持たれる理由には、おそらく、黒田博樹という先輩エースの姿が大きい。そのストイックな姿で、大瀬良にも「エース道」を示し、成長を促して、チーム3連覇への礎を築いた。16年の、25年ぶりのVは、黒田の存在なくしてはなしえなかった。そういう意味でも、表のとおり、たとえ勝利数はチームトップでなくても、16年のエースは、黒田だったと言える。

大瀬良大地

在籍2014-/通算52勝35敗2S、防御率3.38


広島カープ[1950-67]-広島東洋カープ[68-]
※は左腕

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