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「エース」を考える

近鉄・鈴木啓示に見る エースの育て方

 


 最後に近鉄バファローズについて書こう。武智文雄(田中文雄)、関根潤三久保征弘ら、1950年代、60年代の低迷期にも、幾多の好投手がいたが、絶対的エースと呼ばれるほど長続きしなかった。

 近鉄猛牛軍団(パールス時代も含めて)の最初であり、最大のエースは、66年入団で最多勝3回、最優秀防御率1回の左腕・鈴木啓示で、誰も異論あるまい。その後に野茂英雄岩隈久志らの名前もあるが、野茂はメジャー、岩隈はチームの消滅で楽天に移籍し、ともに“近鉄の大エース”と呼ぶには物足りない。

 背番号1、近鉄で唯一の永久欠番となった背番号を着けた鈴木は66年のルーキーイヤーから10勝を挙げ、2年目の21勝から5年連続20勝以上。まさに順風満々に見えるが、最初は“敵”が身近にいた。万年Bクラスに甘んじ、負け犬根性が染みついた先輩選手たちだ。鈴木は1年で寮を出て、ほかの先輩のように近鉄沿線ではなく、あえて阪急沿線に住むことで、「俺はあんたらとは違う」と宣言し・・・

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