6000勝を指揮してきた幾多の名将たち。ここでは1936年公式戦初年度から指揮を執る藤本定義監督から3期目の原辰徳監督まで、巨人の栄光を紡いできた監督たちの歴史を振り返っていく。 敵将から始まった歴史
1934年に結成された巨人軍(当時は大日本東京野球倶楽部)の初代監督は三宅大輔だが、浅沼誉夫を挟み、36年のプロ野球公式戦スタート時の監督は藤本定義だ。35年、いち早くプロ(職業野球)となった巨人が全国の実業団チームと対戦した際、藤本は東鉄管理局の監督として巨人相手に連勝し、鼻っ柱を折った。いわば、憎い敵将をスカウトしたとも言える。36年5月に就任すると、伝説の茂林寺合宿で選手を鍛え上げ、巨人魂の礎をつくった男だ。
1勝目の指揮官も当然、藤本となる。同年7月3日、第1回野球選手大会の大東京戦。1回戦の名古屋に敗れた後の敗者復活戦だった。
この年は9月から12月までの複数のリーグ戦、トーナメント戦での勝ち点制となっていたが、巨人はタイガースと並び、首位。洲崎球場で優勝決定戦を行い、2勝1敗で優勝を飾り、プロ野球初代王者となった。
藤本は42年まで指揮を執り、この年度優勝を含め、優勝7回。
沢村栄治、
スタルヒン、
中島治康、
水原茂、川上哲治らを擁し、第1期黄金時代を作り、のちには・・・
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