自らの後を受け継ぐようにその座に就いた若き四番は驚くべきスピードで成長を遂げている。カープの四番から、ついには日本の四番へ━━。苦しみを乗り越えて大舞台で見せる頼もしい姿を喜びつつ、今後のさらなる活躍にエールを送った。 取材・構成=菅原梨恵、写真=前島進、BBM 四番としての影響力
私がカープに帰ってきた2015年、誠也(
鈴木誠也)は前年の36試合から97試合と一軍での出場機会を増やしました。当時からすごいポテンシャルを持った選手で、「将来的に間違いなく彼が四番を打つんだろうな」とすぐに感じましたね。ただ、これほどまでにすさまじいスピードでレベルアップするとは! 想像をはるかに上回っていました。
でもそれも今考えてみれば、必然だったのかなと思います。彼とは4年間一緒にプレーしましたが、練習に取り組む姿勢とか野球に対する考えとかを見ていたら、決して不思議なことではない。何より“野球が大好き”。もともと生まれ持った身体能力も素晴らしいのですが、努力する才能もある。自分が納得するまで練習する。とはいえ、誠也自身は、努力を努力と思っていないんじゃないかな。何たって生粋の“野球小僧”ですから。
15、16年と四番での試合出場数チームトップは私でしたが、17年からは誠也が四番を任されるようになりました。誠也にとってはプロ入り初めての四番。四番になった瞬間から周りの見方、期待値は否が応でも高まります。その中で、しばらくは苦しい時期が続きました。自分の納得いく打撃ができなくて、打ち取られたあとに悔しさや自分に対する怒りが抑えられない。感情のコントロールができない彼を、ずっと見ていました。
誠也はもともとすごく負けず嫌いの性格ですからね。とはいえ、このままではいけないと思い、私から声を掛けました。普段、後輩たちに対して私のほうから声を掛けることはありません。アドバイスも聞かれたことに答える形がほとんど。ただこのときは・・・
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