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球団史上最強の四番打者を探せ

ヤクルト・和製大砲から異次元の助っ人まで多士済々

 

ここからは球団別に「四番打者」の歴史を掘り下げていく。チームの看板を背負う男たちには数字にプラスアルファの何かを持っていた。
※KING of KINGSで紹介している選手が編集部選定の球団史上最強四番打者

黄金時代初期を支えたのは広沢克己


黄金時代は広沢、古田


 球団草創期は弱小チーム。四番も長く固定できなかった。1961年には、入団したばかりの徳武定之が座る始末。それでもルーキーの活躍に触発されたのか、この年は球団初のAクラス入りを果たしている。

 初優勝を遂げた78年は、パ・リーグで2度の本塁打王、打点王に輝いた実績を持つ大杉勝男だ。詳細は下で紹介するが、全盛期は長打で、晩年は高いミート力で貢献した。

大杉勝男は初のリーグ優勝に貢献


 忘れられないのは、87年にメジャーからやってきたホーナーだろう。1年のみの在籍だったが、93試合で31本塁打と驚異的な打撃で“ホーナー旋風”を巻き起こした。この影響で、ヤクルト本社の株価は150円も上がったというから驚きだ。

 80年代後半からは広沢克己。池山隆寛との“イケトラコンビ”は抜群の人気を誇った。2人は三振も多かったが、同じだけの打点も稼いだ。90年代前半の黄金期はこの2人が支え、後半はオマリー、そして古田敦也が四番に座った。古田は決して本塁打を量産するタイプではなかったが、捕手として培った巧みな読みで、高打率、打点をたたき出してチームを勝利に導く四番打者だった。

 2000年代はペタジーニラミレスらが長く四番を張った。2人は退団後も日本球界で活躍。13年に日本記録となるシーズン60本塁打を放ったバレンティンも同様で、9年主軸を務め、今季からソフトバンクに移籍している。

 現在四番に座る村上宗隆は、まだ20歳。長く四番として活躍することが望まれている。

60本塁打の日本記録を打ち立てたバレンティン


■年度別四番打者

【KING of KINGS】四番・大杉勝男のどこがすごいのか!


 75年に日本ハムから移籍してきた大杉勝男は、70〜72年まで3年連続40本塁打超など、パ・リーグを代表する長距離砲として名を馳せていた。78年には、30本塁打97打点でヤクルトの初優勝に貢献。阪急との日本シリーズ第7戦(後楽園)では、6回に左翼ポール上空を通過する本塁打を放った。しかし阪急の上田利治監督が「ファウルだ」と猛抗議。腹を立てた大杉は8回も本塁打をたたき込み「文句のつけようのないヤツを打ってやろうと狙っていました」とコメントした。79年ごろからは年齢もあって長打力に陰りが見えると、アベレージ重視の打撃にシフト。81年には、自己最高の打率.343をマークした。だが、持病もあって83年限りで現役を引退。引退試合では「わがままなお願いですが、あと1本に迫っていた両リーグ200本塁打。この1本をファンの皆様の夢の中で打たせてやってくだされば、これにすぐる喜びはありません」とあいさつ。ロマンチストでもあった。

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