ここからは球団別に「四番打者」の歴史を掘り下げていく。チームの看板を背負う男たちには数字にプラスアルファの何かを持っていた。 ※KING of KINGSで紹介している選手が編集部選定の球団史上最強四番打者 比較された「後継者」
初代の
辻井弘に始まったカープの四番の歴史。最初に定着したと言える存在は53年に松竹から来た
小鶴誠だ。57年ごろまで535試合に四番を務めた。60年代は
藤井弘、
大和田明、
興津立雄、
山本一義らが中心。70年代前半は
衣笠祥雄が多く務めたが、初優勝する75年に定着し、決定的存在となったのが
山本浩二だ。四番定着後は長打力を増し、本塁打王4回、打点王3回。「ミスター赤ヘル」と呼ばれ、引退する86年まで10年以上四番を務め、チームをVに導くこと5度。長く看板を背負った。
ただ、この山本という存在が出て以降は・・・
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