巨人などに19年間在籍したスタルヒンや、阪神などに17年間在籍した日系選手の若林忠志らが切り開いてきた日本における外国人選手の存在。ハワイから来た与那嶺要(巨人などに12年間在籍)が衝撃を与えた後、「外国人枠」が制定された。ここでは、それ以降で10年以上日本に在籍した選手を振り返りながら、日本での成功のカギを考えてみたい。 心理的垣根が低い?「日系」と台湾勢が活躍
一番下の表は、「外国人枠」の適用を受けたことがある選手で、10年以上、日本のプロ球団に在籍した選手を年数の多い順にまとめたものだ(年数には、「外国人枠」の適用を外れた年も含む)。
最も長いのは、在籍17年の
松元ユウイチ(元
ヤクルト)だが、入団5年目に日本に帰化しており、外国人枠が適用されたのは4年間。それでも、引退後もずっとコーチを務めているのだから、異国に来て大成功したことには変わりない。日本とブラジルの国籍を持つ日系ブラジル人。「日系」は、やはり日本への親近感を持つキーワードだったのかも。
実際、日本プロ野球の歴史が浅い間は、日本への心理的な垣根の低い日系の外国人選手が多かった。そんな潮流に続く形で来日し、10年以上日本でプレーしたのが、
宮本敏雄(元巨人ほか)と
平山智(元
広島)だ。「エンディ」の愛称の宮本は、ハワイ出身の日系選手。「100万ドルの笑顔」で女性や少年のファンをとりこにした。焼き鳥や白菜の漬物が好きだったという。「リポビタンD」のCMの初代キャラクターでもあり、セリフは「ファイトを飲もう! リポビタンD」だった。平山は、闘志あふれるプレーで「フィーバー」の愛称。引退後は広島スカウトとして、
ホプキンス、
ライトル、
ギャレットなどを日本に送り込んだ。
ランキングの上位で目立つのは台湾勢だ。1980年代に相次ぎ来日した郭源治(元中日)、
郭泰源(元
西武)、
荘勝雄(元
ロッテ)は、「2郭1荘」と言われ、長く日本で活躍した。台湾は親日家も多く、アジア圏でもあるので、生活様式などへの戸惑いが少ない点が長く活躍できる選手が多い理由の一つ。
とはいえ、荘などは来日の際、早く日本の生活に慣れたいと・・・
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