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グラブを語れ

ミズノ・岸本耕作(グラブマイスター)インタビュー イチローをうなずかせるために。

 

作業工程のほぼ大部分が手作業であり、経験がモノを言う。グラブ作りは「匠」の世界だ。そんな職人気質があふれる業界において第一人者として知られるのがミズノの岸本耕作氏。イチローを担当したことでも知られるグラブマイスターが作業の現場、試行錯誤の日々を振り返る。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM、ミズノ株式会社


選手の要求に対する理解力


 ミズノでグラブマイスターの称号を与えられたグラブ作りの第一人者も、入社間もないころは量産体制で一つの工程を担っていた。その後、キャリアを積みプロ野球選手のグラブを担当。そこでは、選手の独特な表現、感覚を理解することに苦労したという。

――現在、担当されているプロ野球の選手を教えてください。

岸本 人数は多くありませんが、巨人の坂本(坂本勇人)選手や、阪神の福留(福留孝介)選手のグラブですね。ほかにも、最終作業の型付け、紐を通す作業はプロの選手を中心に担当しています。

――入社されたのは1976年。

岸本 地元の兵庫県・波賀町にミズノのグラブ工場ができ、私が通っていた高校に就職の募集があったという縁で入社しました。中学、高校では野球部に所属していましたが、弱小チームでした。グラブをオーダーするという時代でもありませんでしたから先輩から古いグラブをもらって、大事に使っていました。そう考えると、アマチュアでもオーダー・グラブが多い現在の状況は、当時からすれば夢のような世界ですね。

――入社してすぐにグラブを担当された。

岸本 グラブ製作は設計図となる型紙を元に作られ、グラブ一つあたり約30パーツほどで構成され、組み立てられます。入社直後は、量産グラブの「ハトメ打ち」という工程を担当しました。今はもうなくなりましたが、昔は捕球面の手入れ口の部分に、金具のような物を打って補強していました。入社以来、工場は定番品を作っていたので量産の工程を担っていましたが、波賀工場でオーダー・グラブもやるようになり、95年ごろからプロのグラブにも少しずつ関わるようになりました。

――量産と、プロのオーダーではグラブ作りに違いはありますか?

岸本 プロのグラブは、ただ作るだけでは選手には使ってもらえません。要望に応じていく必要がありますが、関わるようになったばかりのころは、私の理解力が足りず、選手が要求するニュアンスを汲み取るのが難しかったですね。「もう少し大きく」とか「フィット感が欲しい」という言い回しがほとんどで、「あと何ミリ大きく、小さく」等の具体的な数値では表現されません。材料である革に関しても「しっとり感がほしい」だとか、感覚的な部分が多い。それを私自身が理解して、形にしていかなければ納得してもらうことはできませんでした。

――それは経験を重ねて、感覚で覚えていくものですか。

岸本 そうですね。グラブの場合、5ミリ、10ミリというサイズ変更が多いのですが、5ミリというのがだいたい選手の感覚で言う“一回り”大きくする、小さくするというサイズ感です。そこから選手がイメージするサイズにたどり着く感じです。

――最初に担当されたのが野村謙二郎さん(元広島)のグラブでした。

岸本 野村さんは・・・

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