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プロフェッショナルの視点

名手・井端弘和(元中日ほか)が明かすグラブ進化への“貢献” 「自分のアイデアがグラブ、用具の進化に貢献したのなら、これは本望」

 

2004年からセ・リーグの遊撃手部門で6年連続含む7度のゴールデン・グラブ賞を受賞したのが元中日巨人井端弘和氏[解説者]だ。現役時代、使用するグラブには高いハードルを課したことでも知られるが、そのこだわりが現在の球界に大きな影響を与えていた。
取材・構成=坂本匠 写真=BBM

GG賞を初受賞した04年から5シーズン使用したグラブ(手前、右)。右奥は予備用で、左奥は05年の練習用


久慈照嘉モデルがベース


 まずは私のグラブ遍歴についてお話ししましょう。小・中学生時代はピッチャーがメーンで、最も思い出深いグラブは小学校5年生で初めて買った硬式のピッチャー用。ミズノの赤カップで、山田久志さんモデルでした(「好投手・山田久志が語るグラブへのこだわり」参照)。赤カップは当時の野球少年のあこがれの的で、思い起こしてみるとこれが初めてのこだわりだったのかもしれません。

 内野を守るようになったのは堀越高に入学してからのことです。チームに合流してすぐにショートを守るよう指示を受け、最初に購入したグラブはSSKの立浪(立浪和義、元中日)さんモデルでした。困ったのは型付けの仕方。買ったはいいけど、内野なんて守ったこともなかったですから、どうやったら捕りやすいグラブになるんだろう? と。ポケットが必要なことだけは分かっていたので、暇さえあればパシパシしていたのを覚えています。ただ、立浪さんモデルを使ったのは1年秋までで、2年春のセンバツに出場した際にはミズノのグラブに替えていて、このグラブで高校3年夏(※甲子園出場)までプレーしています。試行錯誤の型付けでしたが、今振り返ってもこのグラブは良かった。今ほど知識のない中で、偶然の産物でしょう。

 亜大に進学後はいろいろなメーカーのグラブを使わせてもらいました。ルイスビル・スラッガーに始まり・・・

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