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継投野球を支配せよ

鹿取義隆(元巨人―西武)が語る「リリーフの極意」

 

救援登板739試合は長く歴代の通算最多記録だった。小柄なサイドスローはどんなときでもマウンドに上がり、チームの勝利のために懸命に投げ続けた。巨人西武と常勝2球団でのリリーフ体験を聞いた。
取材・構成=牧野正 写真=BBM

巨人で始まったリリーフ人生。与えられた仕事を全力でこなした


信頼、信用が大事


 私が巨人に入団した1年目というのは(1979年)、まだ中継ぎや抑えというポジションが球界にも明確には確立していませんでしたし、特に中継ぎは重要視されていませんでした。投手なら誰でも先発完投を目指していた時代です。

 ですから私も最初からリリーフ投手だったわけではありません。先発を目指してプロに入ったわけですが、当時の巨人先発陣に入る隙などなく、まずは実績作りから。敗戦処理から始まり、好投すれば次はリードされている場面、その次は同点、そしてリードしている場面と徐々に良い出番となっていく。ただし途中で一度でも失敗したら、また戻ってやり直しです。それをクリアして、初めて先発のチャンスをもらえました。

 私は入団して3年間、38、51、22試合と登板していますが、すべてリリーフでした。肩ができるのも早く、体も頑丈だったからだと思いますが、当時の首脳陣からすれば、鹿取は先発ではなくリリーフタイプと見ていたのだと思います。それでも不満はありませんでした。大切なのは先発で投げることではなく、一軍に残って試合に出ること。自分のできる仕事を全力でやろうという気持ちで投げていました。

 リリーフで最初に苦労したのは・・・

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