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史上最強の監督は誰だ?

球団別最強の指揮官を探せ! 栄光をもたらした男たち【巨人・阪神】

 

特集第2章は現存の12球団の歴史の中から編集部で球団史上最強の監督を1人、忘れられぬ個性派指揮官を1人選んで紹介していく。

巨人・川上哲治[1961-74]


1066勝739敗61分、勝率.591優勝11回/日本一11回


個性派集団→チームで永久不滅のV9


 1965年から73年にかけて、日本シリーズ9連覇という永久不滅の金字塔を打ち立てた。監督通算勝利数では、現巨人指揮官の原辰徳監督に今年9月11日に抜かれて球団内でも2位となったが、日本一11度はNPB歴代最多。このタイトルこそを勝利と定義するならば、日本プロ野球界の歴史上、最も多くの“勝利”を手にした監督である。

 打撃の神様と言われた現役時代は、「俺が打てば勝てる」の唯我独尊のスタイルだったが、指導者転向後は一転、『ドジャースの戦法』を土台にチームワークを説き、チームプレーを徹底した。61年の川上監督就任以降、50年代は個性派集団で第二期黄金時代を迎えた巨人軍は、厳格な指揮官の下、チームプレーの集団へ。この際、純血主義の根強かったチームに、『ドジャース〜』に精通していた牧野茂(中日元コーチ)を、また、大毎で榎本喜八を育てた荒川博を招へいするなど、柔軟な発想で組織を構築していった。

 V9時代は長嶋茂雄王貞治の2大スターを擁したが、彼らとて組織の一員。柔軟な思考と厳格な規律、そして飽くなき勝利への執着で強いジャイアンツを作り上げた。

PICK UP わがチームの個性派指揮官・藤田元司


[1981-83、89-92]


目配り、気配りの”球界の紳士”

 V9監督の川上哲治に「ON」、そして原辰徳と、飛び抜けて個が強い指揮官の系譜にあって、逆にスマートさが際立つ。その外見と相まって現役時代から”球界の紳士”と呼ばれたが、実は「怒らせたら怖い」は選手の共通認識だったという。2期計7年務めたが、1期目は長嶋茂雄監督退任後の81年、2期目は王貞治監督退任後の89年と、球界の2大スターの失敗の後を受ける難しい役割も、いずれも投手陣を立て直しての日本一がすごい。


阪神・岡田彰布[2004-08]


393勝307敗18分、勝率.561優勝1回/日本一0回


勝利の方程式を確立した名将


 宿敵・巨人に次ぐ伝統球団でありながら2リーグ制以降、日本一1回、リーグ優勝5回しか経験していない。つまり圧倒的に負けが多かったチームで、その象徴で監督が3年ほどで変わってしまう傾向が強い。連続して一番長いのが1961年からの藤本定義で、2度のリーグ優勝に導いた。また3度の監督で8年間指揮を執った吉田義男は85年に唯一の日本一に導いた。彼らが最強とする方も多いと思うが、ここでは3年以上監督を務めた中で、一番勝率の高い監督を最強として紹介する。

 それが2004年から08年まで務めた岡田彰布だ。リーグ優勝は05年の1度のみながら、03年に星野仙一が率いてリーグ優勝を果たしたメンバーを再利用する形で、指揮を執った08年までの間4年連続で優勝争いを繰り広げ、常にAクラス入りする強豪・阪神に育て上げた。

 その手腕は何と言っても投手陣の整備で、勝利の方程式を作ったこと。藤川球児を7回、ウィリアムスを8回、9回に久保田智之と3人の強力なリリーバーを配置。「JFK」と言われ敵チームは6回までに負けていたら、逆転は厳しいとわれるほどの投手陣を形成したのである。

PICK UP わがチームの個性派指揮官・藤本定義


[1961途-68]


先発ローテを作った男

 先発のローテのシステムを確立したのは阪急の監督時代だったが、それを阪神に持ち込み、1962年には小山正明村山実、64年はバッキー、村山を中心としたローテでリーグ優勝を勝ち取った。戦前から監督として活躍した「伊予の古狸」と言われる知将で、巨人と阪神の両チームで指揮を執った唯一の監督でもある。阪神でも唯一、2度の優勝を経験した監督であり、短命の多い阪神の監督の中では、最長8年連続で監督を務めた(61年は途中から、66年は途中まで総監督)。

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