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衝撃のドラフト史

衝撃のドラフト史・後編 あのとき、何が起こっていたのか?【HISTORY 1965-2019】

 

時に残酷に、時に感動的に──。1965年秋からスタートしたドラフト会議。多くの若者たちの将来が、その日に決まる。ここでは、その長い歴史の中から幾つかの出来事を拾い紹介する。
※この企画内の年は基本的にドラフト開催年

大物も多かったドラフト外


投手として入団した横浜・石井


 1990年まではドラフト外入団も認められていた(その後も一部例外あり)。完全に二通りあり、「ドラフトで指名するほどではないが、将来の可能性に懸けて」の場合と、「プロに行かないと言っていた選手を口説き、もしくは行かないと言わせ、他球団の指名を回避させてから入団」があった。

 後者は根本陸夫氏がいた時代の西武が活発で、79年入団の松沼博久(東京ガス)、松沼雅之(東洋大)兄弟、81年入団の秋山幸二(八代高)がいる。79年巨人入団の鹿取義隆(明大)は、社会人が内定しながら巨人が江川問題でドラフトをボイコットしたことで獲得となった。

 前者の例は75年巨人入団の西本聖(松山商高)、77年広島入団の大野豊(出雲信用組合)、79年阪急入団の松永浩美(小倉工高中退)、89年大洋(横浜)入団の石井忠徳(石井琢朗。足利工高)らが挙がる。現在は同様の役割を育成が果たし、ソフトバンクは10年会議育成4位の千賀滉大(蒲郡高)をはじめ、一大勢力だ。

史上最多8球団競合の第1号


 1位指名で次々同じ名前が挙げられていくのはドラフトの醍醐味とも言える。抽選は第1回では採用されていたが・・・

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