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東京六大学ドラフト1位投手座談会

早川隆久(早大-楽天)×木澤尚文(慶大-ヤクルト)×入江大生(明大-DeNA)×鈴木昭汰(法大-ロッテ) 東京六大学ドラフト1位投手座談会 神宮で切磋琢磨した永遠のライバル

 

10月26日のドラフト会議で、東京六大学から4選手がドラフト1位の栄誉を手にした。同連盟で投手4人の最上位指名は初。4年間、神宮を舞台に投げ合ったエース4人が過去、現在、未来を語り合った。プロへ進んで以降も好敵手は不変だが、一方では、かけがえのない絆が続く。今回は“超ロングバージョン”でお届けしよう。
取材・構成=岡本朋祐 写真=田中慎一郎

在籍した4大学の帽子を手にポーズ。この4年間、神宮を舞台に母校の威信をかけてマウンドで腕を振ってきた


 4年間の戦いを終え、リラックスムード。今回の企画でヒザを突き合わせることを、一様に「楽しみにしていました」と座談会はスタートした。

──同一リーグから4投手がドラフト1位。率直な感想をお願いします。

早川 レベルの高い環境で戦っていたんだな、とあらためて思いました。振り返ると、ウチの打者も攻略するのに、大変だったんだろうなと思います。

入江 神宮という最高の球場で、このような素晴らしいライバルと投げ合えたことは、今後の財産になります。上のステージへ行っても、東京六大学の誇り、プライドを持って野球を続けていきたいと思っています。

鈴木 自分が1位という評価をいただいたということは別にして、身近にドラフト1位候補がいたことにより、基準を高く、日々の練習に良いモチベーションで向き合えました。そうした積み重ねが1位という結果につながったと思います。プロでも、置いて行かれないようにしたいです。

木澤 先発で投げ合うことになるリーグ戦の1回戦で、どう勝つのか? 難しいシーズンを過ごしました。刺激を受けたことで、この1年間、頑張れたと思います。プロ入り後、直接対決の機会はあまりないとは思いますが、皆の成績は気になると思いますし、切磋琢磨していけたらいいですね。

早川 ヘッドコーチの徳武さん(徳武定祐、元サンケイほか)から、ちょうど1年前のドラフト会議直後に「1位競合で行け!」と言われていました。半年前くらいまでは意識していたんですが、以降はリーグ優勝しかなかった。それが、4球団競合という結果になったと思っています。

入江 ほかの選手が競合し、抽選して、外れた球団から入札されるのかな? と思っていたところで単独指名! ビックリしました。公の場なので、表情を変えないように……。事前に練習した成果が出ました(笑)。

鈴木 ドラフト3日前くらいのニュースで「外れ1位」と出ていたんですが、僕は正直、1位だとは思ってもいませんでしたので、驚きしかありませんでした。あの時点では、早川がどこに行くのか、気になっていましたので。

木澤 外れ、外れの1位でしたが、僕自身が思うよりも周りの評価が高くて「1位候補」とかはやめてほしい、と心の中で叫んでいました。そんなレベルに達しているとは思っていませんでしたので……。早川が言ったように、この1年間は優勝することだけを目標に練習して、トレーニングして……。1位指名の評価はありがたかったですが、頭の中は(その後の)早慶戦のことでいっぱいでした。

伏線があった2016年夏の準々決勝


 2016年8月18日は、夏の甲子園準々決勝。第1試合で鈴木を擁する常総学院高は秀岳館高(熊本)に敗退(1対4)。第4試合では作新学院高の三番・一塁の入江と、木更津総合高・早川が対戦し、作新に軍配(3対1)。のちに2人は高校日本代表入りし、U-18アジア選手権(台湾・台中)で優勝を遂げている。それから4年後。法大・鈴木は今秋の早慶戦を「伝説の試合」と表現。1903年から続く伝統の一戦を当事者2人と、一歩引いた目線から2人が語り合った。

──さて、学生ラストシーズンとなった今秋。主将・早川投手がけん引した早大がリーグ優勝を遂げました。

入江 最終カードの早慶戦は一ファンとして、テレビで見ていたんです。最後の2回戦で早稲田は引き分けか勝利で優勝、慶應は勝てば優勝。2日間、早川と木澤が力投している姿を見て、心が熱くなりました。一方、あの舞台に立っているのはうらやましい気持ちもありました。

鈴木 勝ったほうが優勝。一歩引いた目線で「すごいな〜」と。1、2回戦とも投手戦。2回戦は劇的な逆転本塁打(早大は1点を追う9回表二死一塁から2年生・蛭間拓哉の2ラン)が出て、8回途中から救援した早川が9回を締めた。球史に残る「伝説の試合」と言われていますが、確かにそうだと思います。

──野球では東京六大学に下賜されている天皇杯は、重かったですか。

早川 小宮山(小宮山悟)監督(元ロッテほか)や徳武ヘッドコーチからは、早慶6連戦(1960年秋、徳武主将を擁す早大が逆転優勝)の話も聞いていましたので、何らかの縁があったかな、と。主将として4年目、ラスト8シーズン目で手にできた天皇杯は、想像の倍以上の重さでした。徳武ヘッドも60年前に主将として手にした天皇杯で、後で「持ち方が良かったぞ!」と言われ、うれしかったです。

早大では3年秋までリーグ戦通算7勝12敗と大きく負け越していたが、今年は春1勝(0敗)、秋6勝(0敗)で、貯金2で卒業する/写真=田中慎一郎


──8回から救援した木澤投手はこの1点リードの9回表、二死走者なしから左前打を許して降板。その直後に痛恨の逆転2ランとなりました。

木澤 詰めの甘さ……。「あと1人」で交代も、堀井(堀井哲也)監督から、本当の意味で信頼を得ていなかったということです。僕の実力不足以外、何物でもありません。ここまで(救援した)生井(生井惇己、2年・慶應義塾高)が抑えてきてくれていましたので、初球に迷いなくフルスイングできた蛭間君が、素晴らしいバッターであったということに尽きます。

入江 ラスト1イニングは、難しい。僕は慶應1回戦を2対1で勝っていたんですが9回裏、先頭の四球をきっかけに追いつかれてしまいました(試合は引き分け)。その9回を投げ切れるのが、一番、良い投手の条件だと思っています。

鈴木 優勝をかけた早慶戦。1点リードの9回は難しいですよね。

早川 ネクストは自分で……。蛭間が申告敬遠になったら、自分で終わるな、と。そんなことばかり考えていました。高校時代、入江と対戦した3年夏の甲子園準々決勝(対作新学院高)も最後のバッターでしたからね。正直、一瞬、頭をよぎりましたよ(苦笑)。

──4年前の夏。入江投手は早川投手から、先制ソロ本塁打を甲子園のバックスクリーン左へ。2回戦から3試合連続アーチ(大会史上7人目)でした。

入江 あの感触は、残っています。メッチャ、手応えが良かったです。

早川 いまだに忘れません。(甲子園後の)ジャパン(U-18高校日本代表)のときにも「お前のボールは、いつでも打てるわ!」なんて言っていたんです。この秋はほかの5大学の投手を相手にしても、明治の入江だけは、ガチの配球で行きました!(笑)

入江 全部、カットボール(笑)。

早川 好打者で、気が抜けなかったんだ。

木澤 僕は、3人が甲子園で活躍しているときは、家でアイスを食べていました(笑)。故障(右ヒジ内側側副じん帯損傷)があり、最後の夏の神奈川大会も、2試合の登板でした(1回2/3を救援した横浜高との決勝で敗退)。

──早川投手と鈴木投手は高校1年秋の関東大会準決勝(鈴木は3失点完投も、木更津総合高が4対3、早川は登板せず)と、2年秋の関東大会決勝(鈴木は3番手、早川は登板せず、木更津総合高は8対7で延長13回サヨナラ)で対戦しています。

早川 投げ合ってはいませんが、もちろん、昭汰(鈴木昭汰)の存在は知っていました。2試合とも事実上、翌年春のセンバツ出場が当確という状況でした。

鈴木 実はこうやって、早川と話をするのは今回が初めてなんです。同じサウスポーで負けたくはなかったですが・・・

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