週刊ベースボールONLINE

インタビュー 背番号と2021を語る

阪神・梅野隆太郎インタビュー チームの顔としての責任 「自分が活躍することでこの番号を輝かせるものにしたい」

 

3年連続ゴールデン・グラブ賞を獲得し、梅野隆太郎=44が定着してきたかに思われたが、今季2へと変更した。あこがれでもあった番号を背負い、ここからは「2=梅野」と言われる選手になるために、まい進する覚悟でいる。
取材・構成=椎屋博幸 写真=毛受亮介


27よりもあこがれの番号


 阪神の44と言えば、最強の助っ人であるランディ・バースが思い浮かぶ。その中で梅野隆太郎は、この番号で正捕手になり、セ・リーグを代表する捕手にまでなった。しかし、今年はその44から、チームの顔になるべく1ケタの番号を着ける決心をした。

──福岡大のときはキャプテンだったので「10」を着けていましたよね。就任するまでは「2」を着けていたんですか。

梅野 8を着けていましたね。その後に22になって10でした。

──大学時代には2に縁はそこまでなかったんですね。それで今年から2になりましたが、自分からその番号が欲しいと申し出たのでしょうか。

梅野 違うんです。まずは球団のほうから番号変更の打診がありました。そこでどういう背番号がいいのか、という選択肢をもらいました。

──ではいくつか候補があったのですね。

梅野 実際には最初は27でどうか、ということでした。27と言えば当然、今では広島の會澤(會澤翼)さんを思い浮かべますし、少し前は古田(古田敦也=元ヤクルト)さんや中日の元監督の谷繁(谷繁元信)さんという素晴らしい捕手の番号ですから。そういう話がありながら、僕からは1ケタの番号を着けたいという気持ちを伝えました。

──1ケタの番号にこだわった理由を教えてください。

梅野 1ケタだとチームの顔的な部分もあると思っています。そのイメージが僕の中で強いですから。そこで2を選択できたので決めました。この2には親しみもありますからね。高校生のときの正捕手のレギュラー番号としての2です。それとともに、僕が小学生のころ地元・福岡の球団、ダイエーホークス(現ソフトバンク)の正捕手・城島健司さんが着けていたということもあります。

──一番あこがれていた選手だと聞いています。

梅野 少年野球のチームで当時の福岡ドーム(現PayPayドーム)によく試合を見に行きました。その中でも大好きな選手の一人でしたから。下敷き、ボールペンなど城島さんグッズをいろいろ買った。そういう少年でしたから、そのときの思いも少なからず、2を選択した理由にはあります。

──やはり城島さんの影響が大きくあるのですね。

梅野 ダイエーで着けて、また阪神でも着けていましたからね。でも、その番号を阪神の中で受け継ぐということは思っていません。まずは1ケタの番号がよかったという中で、選択肢の中に、あこがれのこの番号があった、という流れです。

──実際に城島さんには報告をされたのでしょうか。

梅野 いや、実は・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング