ホークスにとってのエース番号が、入団時から変わらず背中に光る。2月21日に40歳を迎える左腕。だが、いくつになっても先発ローテーションへの思いは人一倍だ。若手選手に刺激をもらいながら、大好きな野球に打ち込んでいる。 取材・構成=菅原梨恵 写真=湯浅芳昭、BBM 初めては世界大会
ホークスのエース番号を背負って1年目から懸命に腕を振り、いまなおホークスを支えている。いまやホークスだけでなく、球界を代表する背番号21と言ってもいいだろう。20“21”年、慣れ親しんだ21への思いとともに、左腕はますます輝きを増す。 ──21を背負って15年目を迎えます。
和田 21って球界でもいい投手が着けているイメージがあったので、それを今でもずっと着けさせてもらえているのはありがたいことだなと思っています。
──2003年にホークスに入団する際、どのような経緯で背番号が決まったのでしょうか。
和田 球団のほうからいくつか背番号の提示があって、その中に21がありました。大学4年のときの8月に日本代表として世界大会(第1回世界大学野球選手権)に出場したんですが、そのときに着けたのが21だったんですよ。それまで僕、10番台しか着けたことがなかったんですけど、初めて21を着けて、率直に「カッコいいな」と思っていました。あとは、ホークスの21と言えば杉浦(
杉浦忠)さん。杉浦さんは立教大ではありますが、同じ六大学の大先輩で、21を着けられてホークスですごく活躍されたというのが印象として強い。ほかにも、僕の誕生日が2月の「21」日だったり(笑)。そういう、いろいろな偶然が重なっての21だったんです。
──日本代表で初めて着けたとのことですが、それは割り振られて?
和田 そうですね。本当にたまたまです。野球人生の中で初めての20番台の背番号だったんじゃないかな。それがきっかけで……。ホークスでは前年まで
田中総司さんが着けられていたんですが、番号が変わるということで、総司さんのほうにもあいさつに行かせてもらいました。「今年から着けさせてもらいます」と。
──結果を残さないと、という思いも強かったと思います。
和田 21はホークスでいうとエース番号だと思うので、その番号を着けさせてもらったというのもありますし、総司さんから受け継がせてもらったのもあった。しっかり結果を出さないと申し訳ないなという気持ちはすごくありましたね。
──1年目から結果を残して、21=
和田毅というのが浸透していきます。そして、11年オフには海外FA権を行使してアメリカへ。オリオールズでは早大時代以来となる10年ぶりの背番号18でした。
和田 ずっと21に慣れていたので、久しぶりの18には違和感がありました(笑)。でも・・・
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