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12球団背番号物語2021

12球団背番号物語・日本ハム 何度も流れが変わる背番号の歴史。栗山監督時代に新たなる潮流も

 

戦後1945年に創設されたセネタースが起源となり、何度もチーム名を変え、74年から日本ハム、そして2004年から北海道に移転。背番号もさまざまな顔を見せた。
※本文中のカッコ内の年号は、その球団内でその番号を着けた年数。登録名は代表的なもの。データは2月10日時点

「6」中田翔


北海道で輝き増した1


 親会社の変遷もあって、特に野手においては一貫性のなさが特徴ではある。まず、序盤の象徴的ナンバーは“青バット”大下弘の3だが、以後、00年から田中賢介が着けているものの、必ずしもチームを代表する選手のナンバーではなかった。東映時代(54-72)の2人のスラッガー、張本勲の10、大杉勝男の51も、いずれも以後2人の存在感を超える選手は出てきていない。“東京”日本ハム時代(74-03)では小笠原道大の2も同様だ。今に継承されているのは2つ。まず、柏原純一(78-85)、田中幸雄と2人のスラッガーがつないだ6が中田翔へ、片岡篤史金子誠が着けた7も糸井嘉男、さらに糸井にあこがれ、自ら申し出た西川遥輝の背中に受け継がれ、長寿のメーン番号となっている。

 北海道で特別なナンバーとなったのが1だ。東京時代にもいぶし銀・大下剛史(67-74)、ハッスルプレーで沸かせた広瀬哲朗(86-98)らがいたが・・・

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