戦後1945年に創設されたセネタースが起源となり、何度もチーム名を変え、74年から日本ハム、そして2004年から北海道に移転。背番号もさまざまな顔を見せた。 ※本文中のカッコ内の年号は、その球団内でその番号を着けた年数。登録名は代表的なもの。データは2月10日時点 北海道で輝き増した1
親会社の変遷もあって、特に野手においては一貫性のなさが特徴ではある。まず、序盤の象徴的ナンバーは“青バット”
大下弘の3だが、以後、00年から
田中賢介が着けているものの、必ずしもチームを代表する選手のナンバーではなかった。東映時代(54-72)の2人のスラッガー、
張本勲の10、
大杉勝男の51も、いずれも以後2人の存在感を超える選手は出てきていない。“東京”日本ハム時代(74-03)では
小笠原道大の2も同様だ。今に継承されているのは2つ。まず、
柏原純一(78-85)、
田中幸雄と2人のスラッガーがつないだ6が中田翔へ、
片岡篤史、
金子誠が着けた7も
糸井嘉男、さらに糸井にあこがれ、自ら申し出た
西川遥輝の背中に受け継がれ、長寿のメーン番号となっている。
北海道で特別なナンバーとなったのが1だ。東京時代にもいぶし銀・
大下剛史(67-74)、ハッスルプレーで沸かせた
広瀬哲朗(86-98)らがいたが・・・
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