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背番号物語2021

難しい?簡単すぎる? 背番号クイズ20【後編】

 

長い球界の歴史の中で、背番号にもさまざまなドラマがある。ここでは、それをクイズ形式にし、いくつか出題していきたい。難問があれば、詳しい方なら簡単過ぎるとお叱りを受けそうなものもあり(全20問中の11〜20問。前編はこちら)。

横浜22の佐々木


Q11.沢村栄治の14以外の番号は?


 14が永久欠番ともなっている巨人の伝説の大エース、沢村栄治だが、35年までは違う背番号を着けていた。何番?

A.17(十七)
 35年、巨人の第1回アメリカ遠征時、有名な漢数字の背番号をつけた円陣写真があるが(綱島氏の特別寄稿ページに掲載)。このときは沢村以外の選手が「十四」を着けており、沢村は「十七」だったと言われる。

Q12.大魔神佐々木が22を希望した理由は?


 横浜の守護神・佐々木主浩の代名詞が22。これは佐々木自身が入団時に希望したものでもあった。これはなぜ?

A.ラッキーナンバーだったから
 2月22日2時22分に生まれた佐々木主浩にとって2はラッキーナンバーだった。それまで捕手番号のイメージがあった22が佐々木の登場から守護神番号となっている。1つ面白いのが、佐々木の1年後に入ったヤクルト高津臣吾が最初から22だったこと。この時点では佐々木は絶対的クローザーというわけではなかった。これも運命?

Q13.出世番号51の元祖がこの番号を選んだ理由は?


中日51の井上


 オリックスイチローが着けた「51」だが、昔から成績を出しても、この大きな番号にこだわる選手が多く、東映ほかの大杉勝男、近鉄ほかの土井正博が有名。その元祖とも言えるのが53年中日に入った井上登だが、この選手は自分から51を希望したという。その理由は?

A.・・・

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