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震災10年「3.11」をずっと忘れない

【被災地と甲子園】石巻高(宮城県)・動けば変わる。監督と2人の主将が紡いだストーリー

 

被災地から甲子園を目指した2校をクローズアップする。東北高に続き、震災直後の津波により学校が水没した石巻工高だ。苦難を乗り越え、翌春の甲子園に出場。当時、野球部主将の役職を引き継いだ2人には、今でも忘れられない言葉がある。それは、監督から贈られたものだった。
取材・文・写真=佐々木亨 写真=BBM

左から阿部翔人[2012年主将] 松本嘉次[監督] 黒川慎朔[2011年主将]


あっという間の10年


 太平洋を望む日和山公園へ向かう。宮城県沿岸部のJR石巻駅から1キロちょっとの高台を目指す道中には急勾(こう)配な階段がある。歩く、登る、息が上がる。ふと顔を見上げると、階段をそっと降りてくる老夫婦が見えた。「こんにちは」。すれ違いざまに掛けられた声が、2月の澄んだ空気に溶け、その優しい言葉に心が和む。柔らかな日常がそこにはあった。目的地に着くと視界が開けた。かつて津波で甚大な被害を受けた海岸線が見える。嵩(かさ)上げ工事とともに綺麗(きれい)に整備されたその場所をじっと見つめていると、10年分の風が目の前を過ぎていくようだった。

 東日本大震災から流れた時間を「あっという間だった」と回想するのは、2012年のセンバツに21世紀枠で出場した宮城県立石巻工高を率いた松本嘉次だ。

「震災から10年……そういう感覚は全然ないよね。当時のことをしゃべれって言われれば、今でも鮮明に言える。あれ以上のことは二度とないと思うしね」

日和山公園の高台から望む太平洋。今では穏やかな風景が広がっているが……


 あの日の午後2時46分。常軌を逸した激しい揺れを、松本は石巻工高グラウンドのバックネット裏にある監督室で感じた。宮城県の北東部、太平洋へ向かって突き出た牡鹿半島の東南東沖約130キロの海底を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震。石巻市では、最初の揺れが震度6強を記録した。市内では2万2000棟以上の家屋が倒壊。死者・行方不明者は3900人以上。石巻工高の学校敷地内には、近くの北上運河を逆流してくる津波が流れ込んだ。最深部で170センチの水位に達し、校舎1階は完全に水没した。

 グラウンドも消えた。真っ黒な水とともに流れ着いた漂流物の数々。冷蔵庫に洗濯機、風呂釜に電柱と、グラウンドにはあり得ないものが散乱した。瓦礫(がれき)を撤去すると・・・

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