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震災10年「3.11」をずっと忘れない。

選手に聞く「あの日」の記憶 当時学生だった10年前の彼らが受けた痛み

 

今でも消えることのない記憶がある。つらく悲しいものがほとんどかもしれないが、そこで再発見したり、新たに紡いだ絆もある。2021年3月11日で、東日本大震災から節目の10年を迎えた。今回は、当時10代だった選手たちの「あの日」の記憶を聞いた。

外崎修汰「僕より被害を受けた人がたくさんいた」


西武/当時18歳]


 その日は青森の実家にいました。当時の記憶は鮮明に残っています。富士大に入る直前、僕が高校3年時。その後、大学に進学しましたが、(実際は)自分より大変な思いをした人が多かった。僕より被害を受けた人がたくさんいたと知りました。大学のときも津波で流されてしまった町に奉仕行事に行かせていただいたことがありましたが、そこに行くともっと自分も頑張らなくてはならないという気持ちになったことを覚えています。

 あれから10年。当時の傷を負いながら今日を頑張っている方もいらっしゃると思いますし、今の(東北の)状況などを僕が発信することで知っていただき、僕もそのような人たちへ力を与えることができるように頑張っていきたいです。

生田目翼「2時間近くかけて自転車で帰宅した」


 当時、高校2年生だった僕は、茨城の常陸大宮市から水戸工高まで電車(水郡線)で通学していました。地震が発生したときは教室にいました。今まで経験したことがないくらい揺れが強くて、全校生徒が校庭に避難して。その後、解散になったんですけど、自宅が遠い生徒は「教室に泊まっていきなさい」と指示がありました。というのも、駅が人であふれていて、停電で信号機が動かず、渋滞もひどかったんです。

 僕は・・・

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