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震災10年「3.11」をずっと忘れない。

【学童野球2011回顧】ロッテ・西巻賢二 初めての涙「みんなとも会えなかった。だから今、みんなと野球ができることがうれしいです」

 

あの年、初めて人前で流した涙が成長の糧になった。甚大な被害を与えた震災は学童球児たちにも影響を与え、原発事故が起きた福島では、全国各地に避難し、チームの活動が停止。だからこそ、かみしめた野球ができる喜び──。現ロッテ西巻賢二も、そんな福島県で白球を追った野球少年だった。
取材・文=鶴田成秀 写真=BBM


心をつなげたもの


 悔しさが込み上げる。福島・小名浜少年野球教室でプレーしていた当時小学6年生の西巻賢二(現ロッテ/内野手)はマウンドからベンチに戻るなり号泣した。試合はまだ初回だ。そんな姿を見た小和口有久監督は驚きを隠せなかったという。

「小学生とは思えないほど、気持ちの強い子。練習で弱音は吐かないし、泣いたことなんて見たことがない。なのに試合中に泣き出すなんて……」

 2011年8月13日。全国の学童チームの頂点を決める『第31回全日本学童大会』の準々決勝が行われたこの日、西巻が所属する小名浜少年野球教室は全国4強入りをかけて戦っていた。掲げた目標はチーム歴代最高の8強超え。目標まであと1勝に迫った試合だった。

 一丸となって勝利を目指すナイン。その団結力は、この日を迎える約5カ月の間に強くなっていた。5カ月前に発生した東日本大震災で、チームは一度バラバラに。「教室がすごく揺れて。そのあとは野球ができなくなって……。みんなとも会えなかった。だから今みんなと野球ができることがうれしいんです」。

 当時の西巻のコメントが指す“野球ができなくなった”期間は1カ月以上に及んだ。近くの小名浜港は津波の被害を受けるなど、街の復旧までに時間を要するだけでなく・・・

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