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震災10年「3.11」をずっと忘れない。

激動のシーズン証言者・山崎武司[元楽天ほか]「野球をやっている場合ではない。人生で初めてそう感じる日々だった」

 

震災が発生した瞬間から始まった怒濤(どとう)の日々は、今もなお忘れることができない記憶となって残っている。被災者を励ますつもりが励まされ、逆に勇気をもらった。42歳だったチームの主砲に当時を振り返ってもらった。
取材・文=牧野正 写真=BBM

震災のあった2011年シーズンを最後に楽天を退団。球団誕生の05年から7年間にわたってチームを支え続けた


野球よりも大事なこと


 楽天にとって球団創設7年目となる2011年は特別なシーズンだった。ブラウン監督に代わって星野仙一監督が就任し、3月25日の開幕戦は初めての本拠地開催。地元ファンの期待も高まっていたが、開幕が2週間後に迫った3月11日に悲劇が起こった。地震発生当時、チームの主砲でもある山崎武司は一軍本隊を離れ、埼玉県の戸田球場でヤクルトとの二軍戦に出場していた。

 僕はロッカールームにいましたが、最初は「地震かな」という程度でした。意外と長いなと思っているとだんだん強い揺れを感じるようになり、ついには立っていられなくなりました。慌てて外へ飛び出しましたが、目に入った電信柱がグラグラと揺れている。これは大きな地震だ、えらいことになったぞと。試合は当然、中止。震源地が楽天の本拠地でもある仙台のほうだと分かり、すぐに東北の親しい知人に電話を入れました。僕の家族は名古屋に住んでいましたからその心配はなく、電話した知人もとりあえず大丈夫だったんですが、その知人は「とにかく大きかった。嫌な予感がする」と言っていて、そのうちに津波が来たんです。

 一軍は明石市でロッテとオープン戦を戦っていました。揺れはそれほど大きくなかったと思いますが、仙台にいる選手の家族の安否確認など、試合ができる状態ではないということで途中で打ち切りになったようです。僕はその日に・・・

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