今季で球団創立85周年を迎えたが、12球団の中で一番と言っていいほど、モデルチェンジを繰り返してきた球団と言えるだろう。特に60年代は乱立したが、それでも70年台中盤から安定期に入った。戦後から主流となっているのはCDマーク&ドジャースタイルだ。 名古屋軍(1936〜43)-産業軍(1944〜45)-中部日本(1946)-中部日本ドラゴンズ(1947)-中日ドラゴンズ(1948〜50)-名古屋ドラゴンズ(1951〜53)-中日ドラゴンズ(1954〜) 【Best1 1974〜1986年モデル】長く定着した優勝2度の人気モデル
HOME 1974〜1986 星野仙一
74年、82年と2度の優勝はライバル巨人に競り勝ってのV。74年はナゴヤ球場で優勝が決まったこともあり、このホーム用のトリコロール色は忘れられないモデルだ
VISITOR 1974〜1986 高木守道
胸の『CHUNICHI』は赤色で縁取り白。ホーム用に比べるとシックな感じがするが、ライトブルーに赤がよく映えた。素材は当時主流だったニット素材を採用している
永遠に続くと思われた巨人の優勝を止めたのは中日だった。
与那嶺要監督の3年目となる1974年、巨人のV10を阻止して20年ぶり2度目となるリーグ制覇を成し遂げた。そのときのユニフォームがこれだ。実はこの年からユニフォームがモデルチェンジとなっていたから、1年目にしてゲンが良く、それが86年まで長く続いた要因だったかもしれない。82年にもこのユニフォームで2度目の優勝を飾っており、ファンにとっても思い出深いモデルだろう。それまでの中日からすれば長い13年間の着用となった。
肩からソデの下、またパンツに至るまでの太いラインは定着していたが、その中でも・・・
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