中日85年の歴史の中で唯一の連覇を2010、11年に遂げるなど、黄金時代を築いたのが、落合博満監督時代だった。06年に入団し、その黄金時代にエースを務めた吉見一起氏が、自らの歩みととともに、その時代の強さの理由を語る。 取材・構成=藤本泰祐 写真=BBM 2011年の吉見のピッチング。この年はエースとして文句なしの活躍を見せ、チームを初の連覇に導いた
貧打と言われた11年も強いと思って投げていた
入団に際してドラゴンズを逆指名したのは、社会人2年目にヒジを故障しても評価を変えずにいてくれたことと、高校時代から一番熱心に見てもらっていたことからでした。ただ、当時の投手陣はレベルが高く、入団後を想像すると、「ちょっと厳しいかな」という思いもありました。
プロ1年目の終盤、谷間の先発で1勝はしたんですが、正直、「(ここは)レベルが違うな」と思っていました。チームは優勝しましたが、僕は自分のことで必死で、周りを見る余裕はなかったです。
僕にとって気持ちの上で大きかったのは、2年目の冬に行ったドミニカ共和国のウインター・リーグです。向こうの選手が、1日に1回もらえるミールマネーを使わず、家族のために持って帰るのを見て、「野球ができているのが当たり前だという感覚では甘いな」と気づいた。そういう心境の変化に加えて、ヒジの調子が戻ってきたのが、翌年(2008年)の10勝につながったと思います。
09年は、ボールのキレ、スピードとも一番いいシーズンでした。相手投手が厳しいケースが少なかったこともあって、16勝できました。
ところが・・・
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