ここからは1984年のロサンゼルス以降に行われた7度のオリンピックをすべて振り返ろう。 3大会連続でメダルを獲得した日本
初めて自力で出場権
84年から2大会は公開競技だったが、バルセロナ大会から正式競技として認められ、ロサンゼルス、ソウルと出場を見送っていた“アマ最強軍団”キューバが満を持して参戦。打倒・キューバが本大会での1つの目標となった。ただし、その前に日本はまだ勝ち抜いたことがない予選で、オリンピック行きの切符を手にしなければならない。前回大会が行われる裏で、日本代表監督になることに内定していた山中正竹は、国際経験を積ませるためチーム強化を開始。ソウル大会のメンバーから漏れた選手たちを日本代表Bとし、他の大会に参戦させている。
90年8月の世界選手権を5位で終えると・・・
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