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時代を彩る“速球派”

昭和の豪腕・山口高志 『プロ野球史上最も速い球を投げた男』の真実 「同じボールを放っても、空振りしたら速く見えるし、打たれたら遅く思えた」

 

まだスピードガンが普及していない時代、スピードを推し量る唯一の手段は、バッターの生の反応、そしてスタンドの歓声だったという。1970年代後半、パ・リーグの猛者たちがこぞって「アイツは速い」と口をそろえたのが阪急ブレーブスの小柄な剛腕だ。のちに『プロ野球史上最も速い球を投げた男』と呼ばれた右腕の秘密に迫る。
取材・文=坂本匠 写真=BBM

[元阪急1975〜1982/投手]


速球を投げる秘訣


 関大千里山キャンパス内にある野球部専用グラウンドの、ブルペンを中心とした投手エリアは、和気藹々(あいあい)とした雰囲気に包まれていた。朝9時半から行われていた第1部の練習が、終わりに近づいていたお昼前の時間帯。クールダウンを行うもの、個別に補強運動を行うもの、栄養補給を行うもの、雑談に興じるもの……。そこに「終わったんやったら、早うせえ」と指示が飛ぶ。声の主は関大OBで、現在はアドバイザリースタッフを務める山口高志だ。

 1975年、松下電器から阪急にドラフト1位で入団。のちに『プロ野球史上最も速い球』と称される剛球で、新人年から4年連続2ケタ勝利を挙げるなど、リーグ4連覇、日本シリーズ3連覇に貢献し、阪急の黄金期を支えた右腕である。腰痛などもあり、通算8年で現役を退くこととなったが、その後、阪急、阪神で投手コーチやスカウトを歴任。2015年に阪神を退団後、関大での指導をスタートさせている。

「65歳のときからやから、もう今年で6年目。母校ですし、歴代の学長先生らとお会いする機会も多かったんです。それに、若いころから桂文枝先輩(関大OB)にもかわいがってもらいまして。客員教授にもなられたりして、『分かっているよな高志、恩返しせなあかんな?』と」

 御年71歳。指導するのは、みな2000年生まれ以降の学生たちだが、スマホを片手にさまざまな角度からブルペン投球を動画に収めるなど、精力的に動き回る。一見すると強面であるものの、学生たちを見つめる目は、とても優しい。

「昔とは全然違いますね。僕はグラウンドに出るのが嫌やった。上級生、4回生になるまでは。それがみんな今、グラウンドに出てくるのが楽しいと。今は1回生が4回生に君付け、ちゃん付けで呼ぶ。頼むからそれだけはやめてくれと(苦笑)」

 山口に対しても同様で、学生たちが気軽に声を掛ける姿も目についた。目の前にいる指導者のキャリアを理解している学生がどれほどいるかは疑問だが、ただそれは純粋にプレーすること、技術を磨くことを考えれば、環境としては悪くない。4学年で部員は総勢190人。投手50〜60人。指導歴も豊富な山口は、彼らに対し、果たしてどのようなアプローチを持って指導を行っているのか。やはり、気になるのは・・・

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