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時代を彩る“速球派”

平成の豪腕・由規 『甲子園最速球児』の現在地 「今でも速球が自分のピッチングスタイルであって、最大の武器」

 

スピードボールに焦がれ、愛された男の野球人生は、故障によって何度も谷底に落ちた。それでも、そのたびに立ち上がり、はい上がってきた。31歳となった今も、その手には150キロを超えるボールがある。
取材・構成=依田真衣子 写真=埼玉武蔵ヒートベアーズ提供、BBM

[ヤクルト2008〜18-楽天19〜20-BCL埼玉武蔵21〜/投手]
ヤクルト時代の2010年には161キロをたたき出し、12勝をマーク。しかし、その後は故障に苦しむことになる


直球に自信をつけた日


 2007年の夏、スピードボールで高校野球の聖地を沸かせた。甲子園で、大会最速となる155キロを記録。中田翔(現日本ハム)、唐川侑己(現ロッテ)と並んで「高校BIG3」と称され、ドラフトでは5球団に1巡目指名を受けた。ただ、速球の才に恵まれた男のプロ野球人生の始まりは、長く苦しい日々の始まりでもあった。

 仙台育英高に入学したてのころ、僕は特別に速いボールを投げられるわけではなかったんです。けれど、投げていくたびに球が速くなっていく実感はあった。高校3年夏の甲子園で最速記録を出したときは、1キロでも速いボールを投げたいと思うようになっていました。ただ、それによって周囲からの目線もどんどん変わっていったので、戸惑ったことも事実です。対打者より、自分と勝負しているような時期もありましたから。

 プロに入ってからは、あまり球速を気にしなくなりましたね。野球のレベルが上がって、速い球でも簡単にとらえられてしまうことを思い知らされて。「スピードだけじゃない」という考えに変わっていきました。どう打ち取るか、どうフォームを固めるかを考える時間が多くなりました。3年目の10年には、最速を更新する161キロが投げられたんですけど、スピードは出ていても簡単に打ち返される時期もありました。

 なので、スピードに対してもストレートに対しても、自信がなくなったことがありました。ある試合で捕手の相川(相川亮二、現巨人三軍バッテリーコーチ)さんに、「自信を持って真っすぐを投げてこい」って言われたんです。「ヒットを打たれるまでオール真っすぐ」という条件で臨んだ試合でした。2ケタ勝利を挙げられた10年の交流戦、楽天戦(Kスタ宮城)のことです。4回の先頭打者に打たれるまで、真っすぐだけでパーフェクト。一気に自信がついた、大きなきっかけになりました。ストレートと分かっていても抑えられることと、自分の球威に自信が持てたんです。それにこの日は田中将大さんとの投げ合いで、投げ勝ったのも自信になりましたね。

 ただ……肩を痛めたのはその翌年、11年のことでした。その前に脇腹を痛めていて、その故障明けに投げたとき、何となく感覚のズレが生じているのは気付いていました。それでもスピードは出ているし抑えているから、気にしていなかったんですけど……。当時はまだ21歳で若かったので、無我夢中で投げていましたから。今思うと、そういう微妙なズレを敏感に察知できていたら、また違ったのかなとは思いますね。結局・・・

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