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あの夏の記憶。わが青春の甲子園

あの夏の証言 阪神・中野拓夢「山形県勢最高の甲子園ベスト4チームの目標をクリアし達成感」

 

初出場の前橋育英(群馬)がエース・高橋光成の力投で初優勝を飾った2013年。準決勝でその前橋育英に敗れた日大山形だったが、山形県勢初のベスト4入りを決め、県民を大いに沸かせた。
取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM

中野拓夢
[日大山形高2012〜14/現・阪神]

春以降2年生ながら二塁のレギュラーに抜てきされた中野。日大三との初戦では7回にタイムリーを放ちチームを勢いづけた


【甲子園成績】2年夏準決勝

あまりにも大きな目標を掲げ過ぎ?


2006年の夏。甲子園は「ハンカチ王子」フィーバーに沸いた。このとき、早実と準々決勝で当たったのが日大山形だ。このベスト8入りが山形県勢最高の成績となり、山形球史に名を刻んだ。そこから7年後の2013年。後輩たちが、それ以上の「甲子園ベスト4」を達成。しかも、甲子園の名門で優勝候補と言われた学校を次々と撃破。多くの山形県民に感動を与えた。このとき2年生ながら二番・二塁のレギュラーだった中野拓夢が、その快進撃を回顧する。



 僕が1年の秋、当時新チームのキャプテンとなった奥村さん(奥村展征=現ヤクルト)が「甲子園ベスト4」を目標に掲げました。正直に言うと「本当にこの目標で大丈夫なのかな」と最初は感じてはいましたし、非常に高い目標だなと思っていました。

 新チームになって、秋季大会、春季大会とも東北大会に出場できていません。本当に夏に向け、大丈夫なのかなあ、というのと同時に、僕自身も春は試合に出場していなかったので、このままで大丈夫なのかな、と思っていました。

 春の大会のあと、二塁の奥村さんが遊撃に入り、遊撃補欠の僕が二塁に入るという形でポジションチェンジをしました。このときから僕も試合に出るようになっていきました。このポジションチェンジについては、荒木(荒木準也)監督に、僕が二塁に入ることでチームがうまく回っていった、とあとから聞きました。僕自身は二塁手に抜てきされ、2年生だったので必死でやってやろう、という思いだけでプレーしていました。

 そういう状況の中・・・

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