週刊ベースボールONLINE

あの夏の記憶。わが青春の甲子園

あの夏の証言 DeNA・山下幸輝「ヒーローになってやろう、目立ってやろう、という気持ちだった」

 

DeNAで今季は主に代打の切り札として、気合の入ったフルスイングでファンを魅了する山下幸輝。最初で最後の甲子園は、島袋洋奨を擁する興南(沖縄)が春夏連覇を遂げた2010年の夏に出場。ラッキーボーイ的な存在で、聖地で打ちまくった。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM

山下幸輝[関東一高2008〜10/現DeNA]

持ち前の思い切りのよいスイングは高校時代から変わらず。甲子園で2発を放った


【甲子園成績】3年夏準々決勝

土壇場で放った同点打劇的勝利で甲子園へ


チーム全体が勢いに乗ると、甲子園では自分たちが持つポテンシャル以上の力を発揮することはよくあることだ。2010年夏の関東一がまさにそうだった。東東京大会を劇的なサヨナラ勝利で甲子園切符をつかむと、聖地では打線が爆発。佐野日大(栃木)、遊学館(石川)、早実(西東京)と強豪校を次々と打力でねじ伏せ、準々決勝では成田(千葉)に敗れるも、8強まで勝ち上がった。その打線において三番に座り、4試合で16打数9安打2本塁打、打率.563と安打を重ねたのが、山下幸輝だった。ほぼ無名の内野手にとって甲子園の活躍がその後のプロ入りにつながるターニングポイントとなった。



 中学のころは下手くそだったし、身長も低くて体も小さかった。甲子園を目指すなんて言える技術もなかったです。たまたま誘っていただいたのが関東一でした。入部してすぐの1年夏にチームは甲子園に出場していますが、僕はアルプススタンドでした。応援をしながら「自分たちの代になったら……」と考える余裕は、まったくなかったですね。とにかく毎日の練習がきつくて、先輩たちについていくのに精いっぱいな状態でした。

 甲子園が目標として考えられるようになったのは、自分たちの代になった3年の夏ごろでしょうか。練習試合をしてもあまり負けることが少なくなり、甲子園をおぼろげながら目標として、とらえられるようになりました。同級生は自己中心的な選手が多く、「俺が、俺が」という感じの選手ばかりでした。チームワークというよりは「俺が打ってやる」「俺が抑えてやる」という雰囲気。僕は・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング