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あの夏の記憶。わが青春の甲子園

あの夏の証言 巨人・戸郷翔征「同宿の聖光学院戦はどこに投げても打たれる感覚。強かったですし、全国との力の差を感じた」

 

宮崎県の夏は、連続出場校が出ない地区として有名だ(63、64年の宮崎商のみで、75年に単独県代表になってからはゼロ)。そんな“超激戦区”を17年に新興勢力・聖心ウルスラ学園のエースとして制したのが戸郷翔征。全国初勝利をもたらしたが、大きな挫折も待っていた。
取材・構成=坂本匠 写真=BBM

戸郷翔征[聖心ウルスラ学園高2016〜18/現・巨人]

当時から現在に通じるフォーム。甲子園での敗戦がプロ入りへつながった


【甲子園成績】2年夏2回戦

うれしかったのは宮崎決勝苦しかったのは延長11回


高卒3年目の今季は前半戦だけで8勝を挙げて先発ローテーションに定着しつつ、オールスターにも初出場を果たした。プロ入り1年目から日本シリーズのマウンドを経験、着実に巨人のエースへの道を歩む戸郷翔征が、わずか4年前までプレーしていたのが宮崎県の聖心ウルスラ学園だ。2002年に男女共学となり(以前は女子校)、05年に甲子園に初出場を果たしたばかりの新鋭校。戸郷は県内で強豪校の仲間入りをしつつあった同校で力を磨く決意を固め、16年に入学。17年夏(第99回大会)に2年生エースとして、創部以来2度目の甲子園出場を果たすこととなる。



 僕は宮崎県都城市の出身で、中学卒業後の進路としては、オリックス山本由伸さんがいた都城など、地元の高校も選択肢に考えていました。延岡市にある聖心ウルスラ学園に進学したキッカケは、中学校の先生から「こういうところがあるよ」という紹介と、ウルスラの石田(石田敏英)先生が見に来てくれて、「一緒にやろうよ」と言ってもらえたので。宮崎でも名前は知られていて、そういうところでチャレンジをしてみたいなと。

 ただ・・・

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