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あの夏の記憶。わが青春の甲子園

松坂大輔のいた夏 これが1998夏・松坂の「ドラマ3部作」だ!

 

松坂大輔(西武)の引退が発表された。日本とアメリカで重ねたプロ生活は23年。ということは──。「あの夏」からも、もう四半世紀に近い年月が流れたということだ。「平成の怪物」が春夏連覇を達成した1998年の夏。「松坂世代」という言葉が生まれたことでも分かるが、その存在感は際立っていた。準々決勝で延長17回250球の完投、準決勝で救援登板とともに起きた大逆転、そして決勝のノーヒットノーランによる優勝。この3部作からなるドラマは、この先どれだけ高校野球の歴史が重ねられたとしても、語り継がれるだろう。そう、この時代に生きた野球ファンは、その目で「伝説」を見たのだ。当時を知るスポーツライターが、いくつかの証言とともに振り返る、あの熱い夏──。
文=楊順行 写真=BBM

3連投となった決勝で、ノーヒットノーランという驚愕のピッチングを見せた松坂。春夏連覇を達成してセンターに向かいガッツポーズ、劇的な形で夏を締めくくった


【準々決勝】横浜 9-7 PL学園
球史に残る死闘 延長17回250球完投

勝負に決着がついた瞬間。延長17回、250球を投げ切った松坂は、勝った喜びを表すことなく疲労困ぱいのため息


「あれはバケモノやぞ」


 まことに、横浜の年だった。

 1998年10月26日。この年に流行したKiroroの「長い間 待たせてごめん」ではないが、38年ぶりにセ・リーグを制覇した横浜ベイスターズが、西武との日本シリーズも制してやはり38年ぶりの日本一に。難攻不落の抑え役として佐々木主浩は“ハマの大魔神”と呼ばれ、その年の流行語大賞にもなった。

 同じ日。かながわ・ゆめ国体高等学校硬式野球の部で日南学園(宮崎)との2回戦に救援登板した横浜・松坂大輔は、5回で10三振を奪っている。中1日、京都成章との決勝では16奪三振の1失点完投。横浜は、前年秋の新チーム結成から公式戦無敗の44連勝で、神宮大会、春夏の甲子園、そして地元での国体と、破天荒な年間4冠を達成することになる。

「勇気と感動を与えてくれた長野オリンピック、パラリンピックに負けない素晴らしい70回大会に」

 京都西(現京都外大西)・三好剛主将の宣誓で始まった第70回センバツ高校野球大会。この年に開催された長野五輪では、原田雅彦の「フナキ〜」で知られるジャンプ・ラージヒル団体、日の丸飛行隊の金メダルが感動的だった。センバツの主役は、松坂だ。前年の秋、横浜は神奈川県大会、関東大会、明治神宮大会を負けなしの15連勝で制覇。松坂は14試合に登板し、107回を投げて奪った三振132、防御率1.01というべらぼうな数字をたたき出している。で、ついた異名が平成の怪物。例えばセンバツ前に取材に行ったとき、明徳義塾の馬淵史郎監督はこう話していた。

「神宮大会で見たけど、あれはバケモノやぞ」

 そしてセンバツでの松坂は、5試合すべてに完投し、3試合を完封。45回を投げ43奪三振、防御率0.80で優勝する。

「怪物と言われてもねぇ……僕は、そういうイメージじゃないでしょう。すごみがないというか、顔が幼いし(笑)」

 夏が始まる前、当時17歳の松坂はそう言った。確かに・・・

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